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信頼という依存

おはようございます。

今日はちょっとえぐっていきそうな感じがしているので、マイルドになるように努めます。

「信頼」や「任せる」という言葉がある。一見美しい言葉に聞こえるが、これには大きな落とし穴があると僕は感じている。安易にこれを使うのは、一種の「依存」ではないかと考えているのだ。

「信頼」や「任せる」とセットでよく使われる言葉が「自立」である。相手を一人の人間として尊重する。だからいちいち口出しはしない。仕事の関係はもちろん、親子や恋人の関係にも当てはまるだろう。

ではこの「任せる」や「自立」が成立するのは、どんな関係なのだろうか。

まずどちらかは「自立」していてもう片方はしていないというのは難しい。僕らは人「間」である以上、関係性のなかを生きている。ここに片方のみの成立はありえない。

だがよくありがちなのが「相手に自立してもらいたい」というフレーズだ。仕事なら上司が部下に、親子なら親が子に、ちょっと上から目線の彼氏が彼女に言ってしまいそうな言葉だ。

が、それは間違っている。

「相手が自立していない」と感じたとき、例外なく自分も自立していない。なぜならすでにその時点で、相手に「依存」をしているからだ。相手に「自分でなんとかしてほしい」と願っているというのは「依存」なのである。

ではどう考えればいいのだろうか。一つは自分のみにフォーカスするという考え方だが、これでうまくいくのか。お互いに同じ場所にいるのにも関わらず、それぞれが自分のことだけに集中しているのも危険な気もする。

もう一つの考え方として、自分の中の「依存」を切り離すというのもある。「相手がやってくれるだろう」という期待すら持たないということだ。

つまり、やることを「狭める」のではなく、「拡げる」という考え方だ。

子育てや家事でもそうだ。「役割分担していたのにやってくれない」ということに、エネルギーをとられているようでは前に進まない。お互いに「気がついたらやる」それだけでいいのではないか。

話をまとめる。

「信頼」や「任せる」と言って、役割の線引きをして「狭める」のは違う。なぜならその時点で、相手にやってもらうという「依存」が発生している。

もしあなたが、自分もしくは相手が「自立」していると考えるのであれば、役割の線引きをするべきではない。必要に応じてお互いに役割を「拡げて」やればいい。それが真の「自立」している状態だと、僕は考える。

同じ場所にいる相手に、いろいろと求めてしまうことからの脱却は難しい。だがそれをお互いの役割を決めることで実現することはできない。「信頼」や「任せる」はもっと自然で、こう言うのもなんだが、博愛的な状態だ。

他者との間に線引きをなくしていくことが、誰かと信頼関係を築くということなのではないかと、僕は考えている。

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吉澤 馨
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