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なにをつくっているのか

おはようございます。今週も書いていきます。

情報の伝達と、感情の伝達というのは異なる。最近YouTubeを編集しているなかで、そのことに気がついた。いま多くの人は情報の伝達を求めている。それは「ながら」で観られることで、すぐに分かることで、真似がしやすいことである。情報の伝達には、まず「どうやるのか」を伝える必要がある。

たとえば、この記事のタイトルを「noteの記事のPV数を増やすには」とか、「YouTubeの再生数を伸ばすには」にしたとする。すると、読んだ人の頭に「どうすればいいの?」という問いが、浮かぶだろう。はじめにその問いに答える必要がある。「タイトルにトレンドワードをいれよ」という具合だ。

僕たちは(少なくとも僕は)コンテンツを作るとき、無意識に感情の伝達を優先している。感情の伝達は、段階的だ。もし映画やドラマを観るときに、はじめからクライマックスのシーンを見せられたり、犯人が誰かをバラされたら、興醒めする。徐々に、扉を開けていってほしいという、願いがある。

しかしコンテンツを作りたい届けたい、というのはこちらの勝手な都合で、実際にはコンテンツを届けてほしいと、大半の読者は期待していないのだ。届けてほしいのは、準備が整っているときである。たとえば、お金を払って映画館に足を運んだときや、ベッドランプを点けて、本を読むときである。

移動しているとき、友だちと話している途中、僕たちはコンテンツに触れている。そのときに優先されるのは感情の伝達ではなく、情報の伝達である。伝達の手段を、「動画」「文章」といった中身で、括ってはならないのだ。「どんなときに触れているか」で考えなければならない。中身はその後だ。

「YouTubeをやっています」だと、「動画を撮っています」と自分でも誤解しやすい。しかし「スキマ時間のコンテンツを作っています」だと、理解が容易にならないだろうか。少し寂しい気もするが、相手あってのコンテンツであることを忘れてはならない。いま、なにをつくっているのだろうか?

今週も読んでくださって、ありがとうございました。よい一週間をおすごしください。

サポートありがとうございます。