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傷痕と時の結晶――チェーザレ・パヴェーゼ『美しい夏』

 過ぎ去ろうとする時を生きる女がいる、過ぎ去ってしまった時を見つめる女がいる。「あのころはいつもお祭りだった」――あの美しい夏の夜々に16歳のジーニアは、居ても立っても居られず家から抜け出し街の通りを歩き続ける。そしてその夏、彼女は画家のモデルをやっているらしい19歳のアメーリアと出会う。しかし、チェーザレ・パヴェーゼの『美しい夏』(河島英昭訳、岩波文庫)は、その作品名や美しい冒頭から想像しうるものとは違って、大半は夏が過ぎ去ってしまった後の季節が舞台となって描かれている。

 夏が終わり、ジーニアはアメーリアに連れられてグィードとロドリゲスという二人の画家が暮らすアトリエに行く。アトリエの暗闇の中で、窓を打って滴る雨の音と三人の話し声や足音だけが聞こえ、マッチの炎が揺らめきタバコの火が見えては消える。ガラス窓からかすかに射し込んで来る夜の光。時おり訪れる静寂とともにあるこの暗闇の空間には、まるで時間がほんの一時だけ閉じ込められているかのようだ。そして、部屋の中にはさらに奥の空間を仕切っている大きな赤いカーテンがある。後日ジーニアが再びアトリエに行った際にカーテンの裂け目から奥を覗き込むと、そこには乱れたベッドがあった。この境界を仕切る赤いカーテンは、アトリエとベッドとの空間の閾としてあるだけでなく、その後グィードに恋をするジーニアにとってはある特権的な時間の閾となるだろう。

 「あのころ」、「あの夏」。この作品においてはすべてが過去形で語られている。訳者の河島英昭が言うように、この語りはすでに過ぎ去ってしまった時を生きたアメーリアによるものなのだろう。さらに河島の解説から的確な言葉を借りれば、「物語がジーニアの青春の弧を美しく描き出してゆくにつれて、逆に、アメーリアの過ぎ去った青春の弧が現れてくる」――《ジーニアはアメーリアだ》《アメーリアはジーニアだった》。年上のアメリーアは、かつて自身の過ぎ去ってしまった時の姿をジーニアから再び見出し、見つめている。一方でジーニアは、いまにも過ぎ去ろうとする時を身に纏って家から出かけて行く。アメーリアと出会い、そしてグィードに恋をすることによって、留まることなく心が揺れ動くのを感じる。さらにまたアメーリアとの幾度の会話の中で、彼女は未来への無数の問いに満たされていくかのようだ。つまりジーニアは、現在の過ぎ去ろうとする時のただ中で生きながら同時に、アメーリアを通して自身の未来の姿を垣間見ているのだ。いままさに時の流れそのものとなって生きているジーニアの姿と、すでに時が過ぎ去ってしまった後の停滞の中にいる物憂げなアメーリアの姿とが、二人の生きる現在において絶えず相互に照らし合っている。

 「今年のような夏はもう二度とめぐってこないだろう」――恋をしてしまったジーニアは繰り返し自分にそう言い聞かせる。語り手も、読者も、登場人物たち自身でさえも、誰もがそれを知っている。グィードがジーニアに言った「きみは、夏じゃないんだ」という言葉。グィードとロドリゲスが暮らすアトリエは、瞬く間に流れ去ってしまう時間を虚しくどうにか堰き止めようとする防波堤のような空間だ。そのアトリエで彼ら画家は、過ぎ去ってしまった時を永遠なるものとして画布に定着させようと絵を描き続ける。しかしながらジーニアは、いままさに流れる時そのものと一体となって生きている。そして、彼女は時が過ぎ去ってしまうのを幾度も実感しながら同時に、「不意に」または「ふとした瞬間に」あの夏の夜々が蘇って来るのを感じとっている。これは、かつてジーニアと同じ生を生きたであろうアメーリアにとっても同様なのではないか。「きみたちはあとを追いかけてばかりいるんだね」と、ある時ロドリゲスは彼女たちに向かって言う。アメーリアもまた、過ぎ去ろうとする時を生きるジーニアを見つめることによって、「不意に」この時の秘密を再び見出しているのではないか。

 ジーニアが生きるいまにも過ぎ去ろうとする時と、アメーリアが見つめるすでに過ぎ去ってしまった時。これら二つの時が互いに照らし合いながら時の結晶を形作る。それはまるでいつまでも過ぎ去ろうとしない時のようなものだ。ここで再び河島の解説から引用しよう――「彼女らひとりひとりの体のなかには、同じ傷痕がうずいている」。彼女たちの傷痕が、アトリエにあるあの赤いカーテンの裂け目のように開いている。そしてこの傷痕からは、いつまでも過ぎ去ろうとしない時、時の結晶としての「美しい夏」が不意に流れ出しては微かに燐光を放っているのだ。それにしてもなぜ、愛(恋愛や性愛など、ここでは何と言ってもいいのだが)がこの傷痕を開く特権的なものとなるのだろう。誰もがそれに幻滅しては瞬く間に時が過ぎ去ってしまうのに……? しかし、いまや傷痕を抱えた彼女たち二人にあっては、単なる恋愛とも友情とも言えないある特異な関係を形成しているかのようだ――「恋人どうしだってこんなお天気に丘へ行ったりはしないわ」。見えない傷痕と時の秘密によって結ばれている彼女たちは、今夜もまたどこかへ出かけて行く。

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