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信じられない話① 昭和の宝塚歌劇


旧宝塚大劇場 入り口付近( Aさん所有)

世の中が目まぐるしく変わり、なかなか付いて行くのも大変な時代になったが、色々と思い出すと面白いことがたくさんある。今回は昭和の宝塚大劇場の話をひとつ。

 今は禁煙なんて当たり前で、どこへ行っても喫煙者は肩身の狭い思いをしているが、昭和の時代はどこでも煙草が吸えた。電車には吸い殻入れが窓際やひじ掛けに常設され、乗客が当たり前のように吸っていた。タクシーにも吸い殻があり、運転手も客を乗せているのに吸っていた。一番信じられないのが病院だ。当時は呼吸器内科が無く内科しかなかったが、喘息患者のいる待合にも、白い小石の入った大きな灰皿があり、普通に吸っている人がたくさんいた。許されなかったのは、煙草を吸いながら診察する医師までいたことだ。

 宝塚大劇場でも、なんと観劇しながら煙草を吸えた時代があった。私の記憶にはないので、昭和四十年代には禁煙になったかも知れないが、歌劇か宝塚グラフにファンの声として、「煙草の煙が凄くて、なんとかならないだろうか」とか、「あれでは生徒が可哀そう」という内容を読んだことがある。
また生徒の声として「煙草の煙が今日は凄かった」というのもあった。団体客が客席で弁当を食べているのは何度も見たことがあるが、座席で煙草が吸えたのは驚きしかない。そう言えば映画館で、スクリーンの前に煙草の煙が上がっていたのは、薄っすらと覚えている。私よりお姉様の宝塚ファンの方なら、覚えていると思う。ぜひ教えていただきたい。

 これを書きながら思い出したことがある。二十年間来賓で、各種行事に呼んでいただいた宝塚音楽学校でも、新しい今の校舎になって時代もロビーで煙草が吸えた。煙が立ち込める中を、本科・予科性が歩いているのを可哀そうに思い、私は手紙を書いた。「宝塚歌劇という夢を織る生徒たちを養成する学校で、あれでは可哀そうです。すぐに校内全面禁煙にしてほしい」と。学校側からすぐに「おっしゃるとおりです!」という返事をいただき、その日以来、宝塚音楽学校では全面禁煙になった。
喫煙者にとっては大変かもしれないが、今の世の中の喫煙に対する対応は当たり前と思う。

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