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ジャック・ケルアック「オン・ザ・ロード」

第二次大戦後における主人公サル(バドール)・パラダイスによる四度にわたるアメリカ大陸横断・縦断の旅行の記録です。
そして、ビートニクの記念碑ともなる作品です。

本人の体験に基づく作品とのことであるため、出てくる登場人物も実在者だそうです。

記録というのもおこがましくて、旅で起こった出来事の羅列ですね。

でも、それなりに大枠的ストーリーはあって、そもそもはサルの青春時代のドタバタ的通過儀礼の話なのです。

それから、旅行の記録と言うより、サル自身ばかりではなく彼の友人たちのこと、特に親友というか畏友であるディーンの言動を中心に描いています。ディーンの存在とその言動こそがビートニクのビートニクたる所以なのです。
このディーンにはモデルとなる人があり、ニール・キャサデイというビートニクの一人だそうです。

第二次世界大戦後、アメリカも価値観が変わってきており、ベトナム戦争を経て大きく変わるわけですが、過去の保守的なキリスト教的倫理観は大きく崩壊します。セックス、バイオレンス、ドラッグの合間に若者が生きているという様相を呈しています。

そんな時代の中、サルはディーンという典型的なビート・ジェネレーションの一人と出会い、同胞たちと意気投合し、旅を続けるのです。

第一部では、ディーンたちとの出会いと、デンヴァーに帰ったディーンたちに会うためサルがヒッチハイクやグレイハウンドバスなどを使ってデンヴァーに行き、その後、サンフランシスコからロサンゼルスに行き、南寄りのルートでニューヨークに帰るという話です。

早々に道を誤り、金の無駄遣いをするというかなり不安な道行ではありましたが、ヒッチハイク仲間ができ、トラックにそんな仲間たちと一緒に同情するといった愉快な旅に変わる。

途中で盗みを行ったり、働いたり、ヘマをやって追い出されたり、はたまた可愛いメキシカンと出会い、共に暮らし始めるのだけど、結局悲しい別れを経験し、サルはニューヨークに戻ってきます。

文章は軽快でテンポがとても良いです。内容の面白さでじっくり読ませるところもあります。

しかしまあ、よくもこれだけのドタバタが起こり、はたまたそれを卑屈にならず(ブルーにはなりますが)前向きに過ごしていけるものだと呆れてしまいます。若者の怖さ知らずですね。

バップ時代のジャズミュージシャンの演奏場面が出てきたり、女の子を口説いたり、パーティーで騒いだり、警備員になるけど盗みをしたり……エピソード満載です。

第二部はニューヨークに戻った翌年、ディーンがやってきて一緒にサンフランシスコに行くという旅になります。同行者の都合で今回は南部回り往復です。

ニューオーリンズにいる旧友オールド・ブル・リーは様々な旅と職業経験がある魅力的な男性です。

第一部と似たようなトーンで旅は続く。
サル、ディーン、メリー・ルウの男女が素っ裸で車を運転するし、ガソリンが切れて金を持っているヒッチハイカーを乗せようと考えたり(でも、外れます)、メリー・ルウに関係を求められたりするが、フリスコに着くと彼女は離れてゆく。

最後はディーン、メリー・ルウとともにグレイハウンドバスでニューヨークに戻ることになります。

ここまで読んできて思い出しました。
若い頃、この作品を読もうとしたのですが、最後まで読めなかったのです。
その理由がわかりました。
まだまだ青臭い子供だった私には、こんな生き方が許せなかったからでした。

しかし、この歳になると、(ここまではちゃめちゃでなくとも)こんな風に少しでもいいから道を離れた生き方ができなかったのは何故なのだろうか、と考えてしまいます。

人生、大きなことを望まなければ、なんとかやっていけるものだとあの頃言われていましたが、当時の(親に言いなりのコンサバな)僕にはそれが信じられなかったのです。
それになによりも、とあるもっともっと大きなことを望んでいたからです。

でも、結局、大きなことはいつまで経っても道の遠くにあって、結局届かないまま今に至っています。
つまり、ご丁寧な生き方をしてしまったことに後悔しているのです。

大学に受かって上京したとき、ディーンやサルのような奴はたくさんいました。彼らがみんなそこそこ満足した人生を送れたとは決して思えませんが、今僕は当時の彼らに嫉妬しています。

だから、実は大きな声では言えないけれど、本音をこの際きっちりいうと、リタイアしたら似たようなことをやりたいと思っています。
うまくいかなくても、元に戻せばいいだけ(コストのかかることはやらないので可能なことなのです)。

もう少し言うと、短期間でいいのでどこか遠くへ行き、何かをして帰ってきたいです。

サルたちのように、カリフォルニアで葡萄とか綿花を積む仕事をして、シーズンオフに帰ってくるようなことに近いです。
家族が反対するでしょうねえ(笑)

この作品「オン・ザ・ロード」はつまり、路上で道を外れる、道を外れた生き方を路上で学ぶ、ということを表した話なのです。

そして、第三部。
性懲りもなくサルはまた西海岸へ向かい、指を怪我したディーンにを旅に誘います。しかし、彼の妻カミールや仲間の妻たちの総括に遭ってしまいます。

そのあとのジャズクラブのシーンが圧倒的な表現に満ち溢れています(と言っても今となっては程度の低い漫画のセリフや擬態語擬音語ばかりだけど)。
この盛り上がりはこの作品の一つの目玉なのかもしれません。

東部へ向かう道すがら、デンヴァーに行き、乗り捨てになっているキャデラックを返す仕事のために(車のない旅行者のためにそういう仕事があったらしい)旧友の牧場に寄ります。
その後、シカゴでドタバタを起こし、キャデラックをボロボロにして持ち主に返します。

最後はバスでデトロイト経由でニューヨークに帰り着くが、電話でカミールと離婚話をして新しい彼女であるイネズとの間で子供を作る……主語はディーンである。
もはや、サルは観察者でしかないのです。

ディーン・モリアーティ。
前科者、スピード狂、女好き、酒好き、麻薬常習者、車泥棒、万引犯。結婚と離婚を繰り返し、非嫡出子を何人も作る……
そして、明らかに躁状態であり、倫理感覚なし。
とんでもない人間だが、ワルではなく、ハッピーな奴なのである。

第四部、ディーンはイネズと暮らしている。
1950年になった。サルとディーンは「道(タオ、ロード)」について語り合う。
今のままではいけないと殊勝なことを言うが、結局は跳びまわる男でなければならない、と本卦がえりする。

今回はディーン抜きでサルは一人バスに乗りデンヴァーに向かう。そして、スタン・シェパードと二人でメキシコに向かう……はずだったが、なんと全財産はたいてい車(30年代フォード、ボロ車ではある)を買って乗り付けてきたディーンが現れる……家族を捨て切れなさそうであったが、やはり出てきてしまう。
どこまで彼は破天荒なのか。

メキシコではメヒコたちとティーをやり、売春宿に行き、マンボを楽しむ。
この作品では音楽についての詳しい描写が特徴的であり、各街のジャズシーンでもそうだったが、ここでもケルアック特有の立て続く比喩や擬音による表現が目立つ。

ジャングル、熱帯へ。
そして、目的地メキシコ・シティに到着。ここの描写はそれなりに派手ですが、この作品としては弱い。

サルは赤痢になり、養生する羽目になります。
すると、ディーンはサルとスタンを置いてフォードで一人ニューヨークに戻ってしまいます。もちろん二人に別れの挨拶はするが。

旅を楽しみ、目的であったカミールとの離婚手続きをしてしまったからなんだろうけれど、この辺、親友に冷たい感じです。


第五部。
ディーンはニューヨークに戻り、イネズと結婚しますが、何故かフリスコに戻り、カミールと子供たちと暮らすことになります。

病を癒したサルはニューヨークに戻ります。
そして、ローラという恋人を見つけ、共に暮らすことになります。それをフリスコのカミールと一緒にいる(離婚したのに何故?)ディーンに伝えるとまたまた彼はニューヨークにやってきます。

結局、ディーンはイネズとは一緒になれずフリスコに戻ります。エリントンのコンサートに仲間と出かけるサルにとってこれがディーンとの最後のシーンとなりました。

こうして話は終わります。


ディーンとは、いったい何者なのでしょうか?
路上でしか生きられない人間なのでしょうか?

でも、路上というか旅で人は生きている実感を覚えるものですね。
多かれ少なかれ、僕も同じ経験をしました。

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全体的に表現が大袈裟過ぎていかにもアメリカ的。言葉も不足していてつながりが分からなくなることもあります。

また、普通の行動はあっさり書き(書かなかったりする。店に入ることは書いても出たことは書かない、みたいな)、興味を惹いたものについて事細かに書いています。執拗な感じもしますね。
その描写の連なりがこの作品なのです。

解説によると、ケルアックのジャズの即興性を活かしているとのことです。
かつてこの本をちょっとかじったときには、そんな表現にうんざりしてしまった記憶があります。

でも、この歳になるとそんなこともあまり気にならなくなりました(いつもの大袈裟だなというふうに)。

この作品ももはや古典です。既存価値の破壊という役目を果たして止むのです。

まるでインストールしたあとにデスクトップ上に残された空箱のアイコンのように……。

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