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手紙8
自分を信じることは、今の自分を受け入れられたこともあり、ここまで頑張れた自分を信じてもいいのでは?と抵抗なく思えるようになった。
問題は他の人のことだ。
自己分析すると、私は他の人が全く信じられないという訳ではなく、褒め言葉が信じられなかった。
謙遜もあるけれど「どうせお世辞だ」と思っていた。
そんなとき、ある文章に出会った。
『多分そいつ、今ごろパフェとか食っているよ』(Jam マンガ・文 名越康文 監修)
カウンセリングに通い始めた日、予約の時間までにまだ余裕があったので、ふらりと立ち寄った書店でタイトルにつられて買った本だった。
その日に読み終わった本だったけれど、最近また読み直していた。
謙遜のしすぎは、「お前に見る目がない」と言っているのと同じ
この文章が飛び込んできて、衝撃を受けた。
表現が難しいけれど「相手のことを考えて言っている」つもりがあった。
でも、客観的に見たら、相手の存在や気持ちに全く目を向けていなかった。
自分の気持ちにだけ目を向けて反応していたことに気付かされた。
それに加えて、買った日に全部読んでいるはずなのに、全く内容を覚えていなかった。
ダブルの衝撃を受けつつ、必要なときに必要な情報が入ってくるようにできているのかもしれないと感じた。
素直に嬉しさと「ありがとうございます」と感謝を表現できればいいけれど、それがまだできそうにない。
どんなに気をつけていても、真っ先に「どうせお世辞なのでは?」と思ってしまう。
長年の考え方は、そう簡単に変えられるものではない。
「いえいえ、私なんてまだまだです」の後に「でも、そういっていただけて嬉しいです。ありがとうございます!」と伝えるようにしている。
解決したように見える『信じる』だけれど、根本的にわからなくなってきた。
『自分が信じられるようになった』と思い始めたけれど、一体私は自分の何を信じているのだろう?
他の人の何を信じているのだろう?
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