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手紙7
カウンセリングのとき、先生から「人間不信になっている」と指摘をいただいた。
私は全くそのつもりがなかったので驚いた。
でも、考えてみたら、確かにそうだった。
私が一番信じられなかったのは、相手が自分に向けて言ってくれた『褒め言葉』だった。
なにか声をかけていただいたとき、嬉しさもあるけれど、「いやいや、私なんてまだまだです」「そんなことない」と答えていた。
謙遜?
それもあるけれど、何か違う。
心の底で『どうせお世辞を言っているに違いない』と思っていたことに気が付いた。
自分のいいところを言ってもらえたのに、何故素直にそれが信じられないのか?
私は親から「自分がされて嫌なことは、他の人にしてはいけない」と言われて育った。
あるとき、そう教えられた親から、嫌なことをされたので「嫌だ」と伝えたら、「もっと寛大になりなさい」と注意された。
どんなことをされたのか、説明するべきところだけれど、今の私にはできそうにないし、恨み辛みを書くだけになってしまうので省略する。
問題なのは、そのときの私は、『自分の意見は正しいのか、正しくないのか』が基準になっていたこと。
『自分の意見をはっきり言う』というよりも『私の意見、これは正しいですよね?間違っていないですよね?』と同意や確証が欲しかったのだと気が付いた。
自分がシンプルに嫌と思うことに、『正しい』『正しくない』なんてあるだろうか。
同意を得られるかと思ったら、そうはならなかった。
同意を得られなかった私の意見は、正しくなかった。
正しくない自分を信じることができなくなった。
正しくない自分を褒めてくれる言葉が信じられなかった。
気が付けたら、これからどうしていきたいかを考えることができる。
まず、自分を信じてみようと思った。
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