見出し画像

手紙10

自分を好きになって、見方が変わり、視野が広がり、いろいろ気が付くことがあった。


まず、自分の命をそんなに大事に思っていなかった。
子供のころから刑事ドラマやサスペンスが大好きで、自分の身を呈して守る正義感の強い登場人物を憧れていた。
もちろん、こういった行為が「愚かだ」と言っている訳ではない。
問題なのは、私の場合、「これくらいのことをしないと、私には価値がない」と思っていたこと。
今の自分を受け入れられず、自分の価値をどうしたら高めることができるだろう?と無意識でずっと考えていたと思う。


今は、昔ほどは考えなくなった。
というか、昔は暇があったら『身を呈して守る』妄想をしていたことに気が付いた。
その妄想癖がついているせいか、ふわっと思い浮かぶけれど、今は普通に「痛いのは嫌だ」と思う。
「痛いのは嫌」ってことを、今までずっと考えていたのか…


あと、保険証などにある臓器提供に「はい」と意思表示できなかった。
いや、絶対にするものかと思っていた。
これも人それぞれ意見があることなので、「いいえ」がよくないといっている訳ではない。
私の場合、「自分が死んだ後に自分のものが残っているのは嫌だ」と思っていたことに気が付いた。
きれいさっぱりいなくなりたいって気持ちが強かった。


きれいさっぱりいなくなりたいと思っている割には、物が捨てられずにいた。
学生のころ使っていた教科書や頑張って作成したレポート、資格試験で勉強したテキストやノート、仕事で必要だった知識を得るために読んでいた本が捨てられずにいた。
なんだか漠然と『捨てられないもの』だと思っていた。
それに、捨ててしまったら『そこにいたこと、そこで頑張っていたことがなくなってしまう』と恐怖に感じていた。


でも、ちゃんと分別すれば捨てられる。
頑張った記憶は、自分の中にある。
もし忘れてしまったとしても、今必要なことではないのだから、忘れてもいいのかもしれない。
また必要になったら、頑張った記憶は自分の中にあるのだから、もう一度頑張れば、きっと思い出すはずだ。
それに、思い出せなければ、また学べばいい。


自分を信じられるようになった結果、いるもの・いらないものの見極めができるようになったと思う。
たくさん手放したけれど、今のところ捨てて後悔はしていないし、困っていない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?