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手紙13

今までの私は、ひとりの時間がなかった。
ひとりでいるときも、常に『誰か』を意識していた。


例えば、最近ヨガを始めた。


今までの私は、やっていることを他の人に話したら、お前に似合わないと思われているのでは?とか、もし「まだ続いている?」と他の人から聞かれたときに、習慣づかずに三日坊主で終わりましたと答えるのは、ちょっと恥ずかしいなとか、いろいろ考えて「ヨガ始めました」と言えずにいた。
実際に誰かに尋ねられて考えている訳じゃない。
ただ、「そう聞かれたら、何て答えるのがいいのか?」と考えていた。
なんて答えるのが『正解』なのか、『正しい』のかと考えていた。
ひとりでいるときも、他の人を意識していた。


今の私は、試しに始めてみたら心地がいい。なんか体の調子もいい。だからやり続けている。
他の人に言うか言わないか、自分に似合った行動なのか、他の人がどう思うか、なんて考えていないと気が付いた。


ひとりのときでも、まだ何も起こっていないことに対しての自分の言動が、他の人に自分がどう見えているのか、正しいことをできているかを常に考えていて、複雑にしていた。
考えた挙句、たいてい行き着くところは『面倒臭いからやらない』だった。


「人ってそんなに他の人が今何しているとか、考えないよね」と気にしない素振りをしつつも、無意識で結構考えていたと思う。
でも今は、もっと単純に考えることができるようになった。
自分はやりたいのか、やりたくないのか。


変な言い方だけれど、ひとりの時間は、本当にひとりの時間になった。
本当にひとりの時間になったので、今まで人が多くいたことに気が付いた。
その人たちは、自分が勝手に多く作り出した存在で、自分自身でもあったように思う。
私は他の人をそう見ていたのかもしれない。

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