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手紙9
『信じる』って何だろう?と思い始めて、手始めに家にある辞書で調べてみた。
国語辞典 第八版 旺文社
①ほんとうのことだと思う
②信仰する
広辞苑 第五版 岩波書店
信ずる
①まことと思う 正しいとして疑わない
②まちがいないものとして認め、たよりにする
③信仰する 帰依する
どちらも『本当だと思うこと』とある。
私は『自分を信じ始めることができるようになった』と思っている。
何を思ってそういえるのか?
私が私を信じると思えるようになったのは、『ここまで頑張ってきた自分』だ。
考え方や行動がグラグラ揺れつつも、『ここまで頑張ってきた自分』は本当だし、間違いない。
成績とか実績など可視化できるものは客観的に見られるけれど、相手の性格とか考え方など可視化できないものは?
自分が見たもの・感じたものしか判断できない。
でも相手の心は相手もので、私は外から観察することしかできない。
それは自分の感覚であり、相手のものではない。
同じ現象を見ていても、感じ方はそれぞれ違って、全く同じにはならない。
それに、四六時中ずっと観察していられない。
自分だって考え方や行動がグラグラ揺れているのだから、相手も揺れていたって仕方がないこと。
では相手の何が本当だと思っているのだろう?
そこで、過程を考えた。
初めて会った相手と話して、親しくなれそうだと思う。
親しくなるために、心を開いて、いろいろ話をして、相手の言動を観察する。
付き合いが長くなれば、相手の考え方や行動などの情報が蓄積されていく。
その情報と過去の自分の経験をもとに、「こうするはずだ」「意見が同じはずだ」と考えて、期待するようになっていく…
『親しくなれそうと思った自分』を信じて行動した結果、仲良くなることができた。
相手を信じている、というよりは、『相手と仲良くできそうだと思った自分』『心を開いて相手と接してみようと覚悟した自分』を信じている、といった自分由来なのかなと思った。
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