見出し画像

手紙16

いろいろ書いてきて思ったのが、私は2つのループに囚われていた。


1つ目が、自分の感じたことや思ったことを、『正しい』のか『正しくない』のかで判断していたこと。


何か嫌なことを言われて、イラッとしたとする。
そのイラッとした気持ちを、『イラッとした自分は、正しいのか?正しくないのか?』と即座に判断していたように思う。
大体が『この程度でイラっとする自分は、器が小さい人間だ』イコール『正しくない』と判断していた。
それによって、もっと器の大きい人間に変わりたいと思うけれど、うまくいかず、どうせ自分はその程度の人間だと卑下して、そのイライラは相手の悪口を言うことで発散していたように思う。


これは、逆でも同じだった。
何か言われて、嬉しいと思う。
嬉しい!と素直に喜べばいいものの、『この喜びは、正しいのか?正しくないのか?』と考えて、『この程度で喜んでいるから、器の小さいままなのだ。もっと向上心を持たなければ、周りに置いていかれる』と判断していた。


自分の感じたことや思ったことに『正しい』『正しくない』はないと思う。
イラッとしたことは、イラッとしたこと。
嬉しいことは、嬉しいこと。
感じたことや思ったあとの行動には責任があるけれど、感じたことや思うこと自体に『正しい』『正しくない』はないと思う。


2つ目が、今の自分を受け入れられなかったこと。


『正しい』のか『正しくない』のか判断して、ほとんど『正しくない』と思っていたのは、自分を受け入れることができなかったから。
そんな自分を少しでも変えたくて、本に書いてある考え方やいい習慣をしようとするけれど、長く続かず、少しも変えることができないと自己嫌悪を繰り返していた。


『正しい』『正しくない』は、無意識で判断していたことだから、気付くのに時間がかかった。
気付けたとき、一瞬でそんなことを処理できる脳は凄いなと感心した。
気付くことができたのは、自分を受け入れることができたからだった。
私は全然素直ではなかった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?