【妊娠4か月】過去の私の呪縛〜私の半生日記〜①
こんにちは。
最近の私はというと、めっきり周りと距離を取り、がんじがらめになり、自己嫌悪に陥っています。
昔から、“自分の事なんて周りに分かってもらえるはずがない”と勝手に決めつけ、周りに壁を作って生きてきました。
それが始まったのは、母の死がきっかけでした。
今日は、今まではほとんど誰にも話してこなかった母について書きたいと思います。。。。
これを書くことが良いことかはわかりません。
ですが、このまま何も言わないままでは、私はこの先ずっと過去の呪縛から逃れることが出来ないと思ったからです。
私の人生はまだまだ続きますし、支えてくださる方、応援してくださる方もいてくれています。
今まで、ずっと人との距離を取り、何かあるごとに縁を切ってきました。
今回もまた、そんな風に人の縁を切るような行為をしてしまっている自分が嫌になりました。
だからこそ、今伝えたいと思い、ブログに書くことにしました。
私の母は、私が中学三年生の時に45歳で病死しました。
最後の死因は乳がんでした。
母はそれ以外にも沢山の病気を持っていました。
私が知る限りではリウマチぐらいしか知り得ないのですが、最期は骨に転移して亡くなったそうです。
しかし、当時私は母の死の原因について教えてもらえず、私は悶々をした日々を過ごしました。
母の遺言だったそうですが、私としては知らされなかった事がとても残念でした。
15歳にもなれば、母の状態を見れば、ただ事ではないことくらいわかりました。
しかし、結局死後数年経ってから知られされても、私はなにも嬉しくなかった。
もし、あの時知っていれば、何かしらの策を一緒に考えることが出来たのではないか?
今でもそう感じてしまいす。
何故、母は手術しなかったのか?
それすら、私には死後になってから知らされたのでした。
今でこそ、乳がんは検診なども充実しており、初期で見つかれば、完治する確率も高くなっていますが、20年も前なので
そもそも、乳がんを見つけること自体難しかったようです。
私が後から聞いた話では、母は初期ではないですが、手術で取り切れる時期にがんが見つかっていたそうです。
ですが、当時母はある宗教に心酔していて、その導師と呼ばれる人から
“体にメスを入れるのは良くない”
“そもそも、アナタ(母)は先祖に執りつかれている”
などど、言い
当時、父方の実家に合った先祖代々が守ってきたお濠(おほら)を解体するように母に勧めたのです。
もちろん、祖母は大反対。
ですが、結局、信者がたくさん来て、盛大に解体の儀式のようなものが行われました。
そして母は手術をせず、免疫療法をすることになりました。
父方の祖母は大激怒。
元々、母と祖母は関係が悪く、祖母は私たち孫の前で平気で母を罵っていました。
祖母の家に行った帰りは必ずと言っていいほど、父と母が喧嘩をするので、私は祖母が大嫌いでした。
②へつづく
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