【妊娠6ヶ月突入】過去の私の呪縛④〜母の死と絶望の高校生活〜

前回の話はこちら

母が亡くなったのは


公立高校入試2週間前



結果から言えば私は第一志望の高校に合格。


今思えば、良くその状況で受験して、さらに受かったなと我ながら関心するくらい(笑)


それは、私の学力ではギリギリのラインだったから。



その頃の私はとにかく前に進む事しかできなくて無我夢中だった。



お通夜もお葬式も葬儀会館が空いてなくて家でやったから、とにかく忙しくて悲しみに浸る暇なんてなかった。



あくまで個人的な意見だけれど、家族に先立たれた遺族は皆、そうなんだろうなと思う。


葬儀のときにお棺の前で泣けるのは、第三者かもしくは遠い親戚。


当の親族は

何か使命感みたいなものに駆られてやっているものだ。

 

そして、後々になって日常に戻ると

何かが切れたように悲しみがこみ上げてくるもので、その悲しみは自分が死ぬまで長い年月続き、消えることはない。


母の亡くなった日


私は学校の登校日だった。


教室で自習をしながら、ふと時計をみた。


今思えば【虫の知らせ】


だった様に思う




その後、担任に呼ばれ、姉から母が亡くなったと電話があったと聞く。



その後はチャリンコで迎えに来た姉と急いで帰宅し…



お通夜、葬儀。


当時私は、母が亡くなったことで久しぶりにいとこ達に会えたことの方が嬉しかったことを覚えている。


案外そんなものだったりするものだ



お通夜はいとこや母方の親戚皆で川の字になって寝た。



その後の記憶は初七日が終わり、姉とテレビを見ながらお供えの紅白餅を食べて、それが無性に美味しかったことくらいか。



それ以外はまるでドラマの中に自分がいるようで、夢なのか現実なのかわからなかった。


唯一葬儀で覚えているのは、クラス全員が参列したことが無性に嫌だったことを覚えている。


当時、担任には内緒にして欲しいと言ったにも関わらず、だ


まぁ今思えば、担任も放っておくわけにも行かなかったんだろうけど、思春期真っ只中の私にはクラスメイトの哀れな目が苦痛でしかなかった。






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