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全集中の呼吸でできることって才能かも!?

■noteを書いて気がついたこと

noteを書き始めてこの記事で7投稿目。
私は文章を書くということが好きで、苦にならないということに気がついた。

以前は読む専だったnoteは『文章』重視な感じの記事が多く、不快な宣伝が少なく、
純粋な『読み物』として好きだった。

まず文章を書くことを純粋に楽しんでいる人が多いように感じる。
投稿者をクリエイターと呼ぶ文化も素敵だ。

他のクリエイターに対して共感や称賛の思いから互いにスキしたり、フォローし合う風潮もいい。
オススメで上がってくる記事が本当に好みに合っている確率が高くて他のクリエイターさん達の記事が面白い。(AIがいい仕事をしている)

私は他のブログサイトで書いていたが、書きたいことの方向性と、書く目的を見失って書けなくなっていたので、思い立ってそちらに書くのはやめて、(閉じてはいないが)
自分の気持ちや、伝えたいと普段思っている事を書くため、書きたい気持ちを満たすための場としてnoteを選んで書き始めた。

書いてみて思うことは、やっぱり私は書くのが好き!ということだ。

noteはスマホで書いてます


■看護師の仕事の中での『書く』ということ


私は看護師として学生の頃から
実習記録を書くことが好きだった。
記録とて、文章には変わらないと私は思う。

多くの学生がそこを嫌っていたが、
10代の女子よろしく、口では皆に合わせて
「ね~!本当記録めんどいよね~」
とか言ってたが、実は全然苦になってなかった。

看護師として病院で働くようになってからも、
看護記録というものにとても興味があり、
記録についての研修になぜか上司から勧められて、よく参加させてもらった。
様々な記録方式について学び、それぞれの記録方式のルールに沿った記録を書いてみて、
どの記録方式が、その現場に向いているのか?などと考えるのも好きだった。
記録委員会なるものに所属して、新人研修の講師なんてこともさせていただいた。

私はこんなことが好きで、熱く語っても
多くの看護師において、記録はめんどい仕事であり、残業のもとであり、
なかなか共感を得られる事はなかった。

その頃は看護記録が好きなのかと思っていたが
私はたぶんその頃から
文章を書いて伝えることが好きだったのだと思う。

看護記録に楽しみを感じる文章オタク


■5教科の成績と文章力はイコールか?


高校生の頃、私は衛生看護科ですでに看護の勉強をしていた。いわゆる五教科(数学や国語、英語など)以外の、職業科の先生が多く、担任も看護師経験のある先生だった。

ある夏休みの課題で、読書感想文を書いた。
課題図書が、
有吉佐和子著『華岡青洲の妻』
だった。
『華岡青洲の妻』は
世界最初の全身麻酔による乳癌手術に成功し、漢方から蘭医学への過渡期に新時代を開いた紀州の外科医華岡青洲。その不朽の業績の陰で、麻酔剤「通仙散」を完成させるために進んで自らを人体実験に捧げた妻と母の愛葛藤を描いた文芸作だ。
高校生になかなか渋い図書を課題として出してくるなぁと今は思うが、当時の私はこの本になかなかの衝撃を受け、一気読みできるほど面白いと思った記憶がある。
だから読者感想文も、思いの丈をすらすらと書けた。
何の気なく、普通に提出したその読書感想文を読んだ担任からこんなことを言われた。

「これ、どっかの誰かが書いた何かを見て書いたん?」

え?

私は一瞬何を言われたか解らなかった。

続けて担任は
「あんまり上手く書いてあるから、どっかの真似したんかと思って」
「ほんまに、あなたが書いたん?」

受けとりようによっては誉めているのかもしれないが、褒め言葉としてはかなりの変化球だ。
高校生がそれを前向きに受けとるには複雑すぎた。
若い純真な私は、ずるをしたと疑われたような気がして非常に傷ついた。

そして、あんまり上手く書いたら疑われるから
これからはもっと子供っぽく、高校生らしく?
下手くそに書いた方がいい。
そんな風に思って、それ以降書く感想文や作文の類いは、わざと、拙く書くようにした。
私は文章を書く才能の種を封印した。

そうは言ってもやはり文章を書くことが
得意なことには変わりなかった。
進学するにあたって
専門学校への推薦入試が小論文と面接のみの学校があり、5教科が苦手な私は迷わずその学校への推薦を希望し、受験した。
その時ばかりは、自分の全力の小論文を書き、見事に合格した。
得意なことで評価されたのはとても嬉しかった。

今思えば、あの担任は、私の5教科の成績と、文章力のバランスが悪すぎて、文章に違和感を感じたのかもしれない。

文章を書ける人=勉強が出来る人というイメージがある。
その式が、そもそも間違っているので、文章がうまく書けるからといって、数学や、英語が得意とは限らない。
私は本当に数字が苦手で、算数の段階で躓いて以来、ずっと計算式を見ると頭のなかのシャッターが降りて、閉店ガラガラ終了になる。

英語も文法とか意味が解らなかったし、単語を覚えるのも苦手だ。

文章力があるからって、漢字が書けるわけではないし、覚えられない。
読めるけど書けない。
古文のルールもよく解らない。

社会や理科は興味がある単元はよく頭に入るけど、そうでもない所は全く覚えられない。
でもそれらは、今やスマホ一つでで解決できることが殆どで、数学だって、英語だって、考え方と調べ方さえ解れば困ることはない。
今となっては何を評価されていたのだろう?
と疑問にさえ思う。

そんなだもんで、学校の成績は
5教科に関しては散々だった私なのだが、
文章を書くことに関しては、特に何か特別な努力していたわけでもなく、できてしまっていたのだ。
強いて得意な理由を探せば、本をよく読んだことと、常にどうすれば伝わるか?という読み手目線を意識していることかもしれない。

ということで
5教科の成績と、文章を書く能力はイコールではないと身をもって思うのだ。

勉強できなくたって、文章うまいこともある!


■本当の自分を見失っても取り戻すことはできるはず



私は5教科以外の、音楽、美術に関しては
いつも好成績だった。
特に音楽については成績もいいし、好きだし、なぜその方向を勧める大人がいなかったのか不思議なくらいだ。

まあそこは、音楽、美術では
生活できないという大人の刷り込みから
自然と、子供なりに空気を読むことを身に付け
人から正解と思われる答えの方向に
なんとなく進む方が世をうまく渡っていけるような気がしていたのだと思う。
本格的に身につけていくためには、経済的に親に負担がかかることも、親の言葉の端々から感じて、勝手に遠慮していた。
(ダメと言われたことはない)

私はいつの間にか
自分の本当の気持ちよりも
他人から正解として認められることの方が
生きていく上では大事な事なのだと
そういうもんだと、
自分を納得させて生きるようになっていた。
そしていつしか本当の自分を見失ってしまった。

それはそれで、子供なりに自分を必死で守ってきた結果なのだから、それが悪いとか、後悔とか、恨みとか、そういうことでない。
その過程が無ければ今の私は無いのだから
それは、それで間違いではない。

ただ、大変だったね、
いっぱい考えたんだね
自分を守ってきて、頑張ったねと
若く、小さい自分抱き締めて、認めてあげよう。

そうやって自分を認めて、
愛することができるようになれば、
本当にやりたいこともまた見えてきて、
本当の自分を取り戻すことができるのかな?
と思う。
まだ、私はやりたいことの全貌が見えていないので、あくまでもその片鱗を感じている段階だが、きっと方向性は間違っていない。

リアル子供時代に
大人に100%応援して、認めてもらえれば
苦悩も少なくて、まっすぐ才能をのばしていけるのだろうが、なかなかそんな人間は
少ないと思う。
大人の言葉の影響力は計り知れないけれど
色々な影響を受けて
磨かれて
輝きも増すのだから、それはそれで素敵だ。
最終的に自分が自分を認められれば
それでいいのだ。

だがしかし、そこがなかなか難しくて
私は未だに修行中だ。

ただ親として、大人として
若者に与える影響は大きいことについて解ったからには、心して関わるようにしていかなければと思うのだが
そこもまた、未熟故に…。
我が子たちよ、すまぬ(。-人-。)
自分を愛するセルフラブを共に身に付けよう。

自分を認めよう 自分を愛そう!



■努力と才能の違い


そんなこんなで、本当に好きなこととか
得意なことを生かした仕事とか意識することなく、今の看護師という仕事について25年くらいになる。

この仕事の中で、文章を書く機会は多く
私はそれが得意で、好きであったことも
看護師を長年続けてこれた理由として、わりと大きいと思う。

看護師の仕事は、中継ぎの役割が多い。

患者、利用者、家族からの困り事に直接答えるたけでなく、他の専門職に繋いで行くことが大事な仕事だ。
専門職というのは、医師や、ケアマネージャー、ソーシャルワーカー、リハビリ専門職や、薬剤師、介護職など。

それらの専門職に繋げるためには、現状を正しく伝えるための言葉を整理して、書いたり話したりできる能力が重要だ。

つまり、文章力が良い支援を引き出す鍵になる。

文章力とは、書くことだけではないと思っている。言葉を組み立てて、なんらかの手段で人に伝えることが出来ることなのだと思う。

文章を書くのが苦手な人は、たぶん
伝えたいことを頭で整理して、言葉を並べる段階で躓いている。そして、相手がどう受け取るかの想像が足りない。

そういう人は、会話をしていて自覚がなくても
伝えたつもりでも話しがうまく伝わっていなかったり、相手に読み取る努力をさせている可能性が高い。

ある程度、これは訓練と努力で改善されると思うが、まず、自分がうまく伝えられていないことを自覚できないと、スタートラインに立てない。
そこを指摘してくれる他者に出会えて、ご自身でそこを認められることができたらラッキーだ

あとは努力するのみで改善できる。
努力するのみというが、そこが大変なのだ。
 
努力とは、
『力をこめて事をすること。あることを成し遂げるために、休んだり怠けたりすることなく、つとめ励むこと。また、それに用いる力。』
ということらしい。

なかなかハードである。
だから、そうしてまで身に付けたいと思うことでなければ、努力はしない。

このハードな努力をあまり必要としないけど、できちゃうってところが才能なのだと思う。

才能というのは、やっていて苦にならず
夢中になって時間を忘れてできる事なのではないだろうか。
私は時間さえ許せばずっと文章を書いていたい。そしてもっと細かく言えば、人に何かを伝える事を工夫したり、深く考えたりすることが好きなのだ。
文章だけでなく、研修資料としてPowerPointでスライドを作ったり、インスタなどに投稿する時に、伝わりやすくcanvaでイメージ画像を作るのも変態的に好きだ。
出来れば寝ずにやり続けたい。
こういう、時間を忘れてでも出来ちゃうこと、やりたいことが才能なんだろうと思う。

時間を忘れてできてしまう
あなたの才能の卵は何ですか?


■鬼滅の刃的全集中の呼吸


いくら時間を忘れて没頭出来ることがあるとはいえ、時間は限られていて、他にやることがわんさかあるので、そこにばかり集中していられない現実がある。
あと、体力の限界もある。
寝ずにやってしまったときのしっぺ返しが酷い。(まあまあお年頃なので)
必ずその後の疲労が半端なく、回復に相当な時間を要す。

鬼滅の刃という漫画をご存知の人は多いと思う。なのでここでは、鬼滅の刃のストーリーに関する説明は割愛する。
何の話や?と思う人は是非鬼滅の刃のアニメを見るか、漫画を読んでほしい。(画像が美しく展開テンポ良く心地いいのでアニメの方がオススメ)

鬼滅の刃に出てくる鬼殺隊が強くなる上で身につける呼吸法に、全集中の呼吸というものがある。
私は鬼滅の刃の柱達(上級の鬼殺隊)が、常に全集中の呼吸でも平常運転なのがうらやましい。勿論そこに至るまでには相当な修行があっての事なのだから、一足飛びにはそこへはたどり着けないのは理解できる。

私はまだ、修行中の炭治郎達のように
一回の全集中での疲弊がひどく継続できない。

世の中には、凄い勢いで、ご自身のやりたいこと、役割、使命のようなことを全うされている方々が沢山おられて、どこにそんなエネルギーがあるのか?と思ってしまうが
きっとその方たちは『柱』なんだろうと思う。

柱になるまでに、きっと多くの修行があったには違いないが、でもその修行も、才能の上での事であれば乗り越えられて、柱への道が開けて行くのだと思う。

現状、『修行中の炭治郎』な私も、柱を目指したい。

柱を目指すというのは、我武者羅にそれをしまくることではないと思う。
鬼滅の刃では、血の滲むような修行を毎日息も絶え絶えされていたが、
私は鬼殺隊ではないので、そのイメージは一旦置いて、そこを目指すための環境を整えるのも、修行の一つなのだと思う。

鬼滅の刃を全巻 大人買いした大人な私w


■さあ、これから何書こう?


私は訪問看護師で、管理者で、4人の娘の母だ。そしてシングルマザーだ。
二人はもう大人で自立しているが下の子二人はまだお金も手もかかる。

稼がないといけない現実
家のことをしなければいけない現実
職場での立場

全部大事で
それらだけで時間も体力もほぼフル稼働だ。

その中でやりたいことをやるっていうのは
なかなか無理がかかる。

ありがたいことに
わたしが今やりたいと思っている
文章を書いたり人に伝える事は
今の仕事にもリンクしているので
書くこと自体が全くできないわけではないが
自分個人の仕事としてやる時間を捻出するには
なかなか身を削る。
(noteやインスタの投稿、講座づくり等)

本気で書くことを中心においた生活にシフトしていくためには、身ではなくて、なにか他のことを削るというか、手放すことを考えなくてはいけないのかもしれない。

悩ましいことだ。

これは私の今一番の課題だ。

でも削るところなんて無いと思っていたが
私はnoteを書き始めてから、テレビを殆ど見ていないことに気がついた。

Amazonプライムも、Netflixも
TVerも、ディズニープラスも見ていない。
自然と削っていた。
削れるところ、あるもんだ。
この際有料のものは解約して、節約にもつなげられそうだ。

あとは、YouTubeをちょこちょこ見てしまっているので、それもほどほどにすれば、もっと時間捻出できそうだ。

そういう小さな時間の捻出の積み重ねも
つもり積もれば大きいことになりそうだ。

まあ、全集中したい私にとっては
細切れ時間よりは、まとまった時間がほしいのだが、無いよりはいい。
贅沢はいってられない。

私は何が書きたいかは、テーマを絞らず書きながら考えていこうと思ってnoteへの投稿を始めたが、最近思うのは
経験をシェアしたいということだ。

人生100年時代になっていく中
半分近く生きてきた。
特段目立った特殊な資格も技能もないけれど
ただの看護師で、管理職で、訪問看護をして
四人娘を育てて、離婚して
シングルマザーで、アロマやっていて
そんな『私』の経験でも
だれかの役にたつかもしれない。

この文章を書くこと、伝える事が好きという
特技を生かして
どなたかの役にたてたら最高じゃないかと思う。

人生前半戦は、経験を積む時間。
後半戦はその経験のシェアをしていくことに使いたいなぁと思う。
勿論、これからも行動を重ね、経験値は増やし、ネタは切らさないようにしていくつもりだ。
そんな風に考えると、ワクワクする。

そして100年生きて、死ぬ前に、柱レベルの全集中の呼吸をマスターできていたら今世は思い残すことないだろう。

さあ、私はどこまでやれるかな?

ワクワク楽しい方向へ行こう!



今回の投稿から思い浮かぶアロマ


『ローズマリー』


ローズマリーは活力、気力を与え、集中力が増します。自信と意欲を高め、勇敢にさせます。
進むべき真の道を思い出させ、行動を促します。

集中力を高めるローズマリー
全集中の呼吸だってできるようになっちゃうかも?
アロマのインスタグラムやってます。
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