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少し遅れたご報告。

2月28日、父親が亡くなりました。


病気発覚の頃とか、再発したときに書いてましたね。
気にかけてくれた方がいらっしゃったら。ありがとうございました。


すい臓がんが見つかり手術ができて、治療を始めて約4年半。
それまでも休憩取りつつ仕事したりしてぜんぜん元気だったんだけど。

年明けすぐ、普段あまりごはんの量を食べないのが
お雑煮やおせち料理を「美味い美味い」言ってバクバク食べてて。
食べすぎておなかおかしくなったかな…とか本人も言うくらい。
だけどお正月が明けてもなんかおなかの調子が戻らないんだとか。
普段どおりでいたけども続いてる感じでいたみたいで。
1月中旬、主治医の先生に診てもらう日だったから
その流れでちょっと聞いてくるかと軽い気持ちで行ったらそのまま入院。

検査したらかなりまずいことに。実質的な余命宣告をされるほど。
「ホントかなあー?」なんて本人も言ってたんだけど。
入院の日からどんどん調子が悪くなっていく。

入院してから2週間後、主治医の先生からこう提案されました。
「病院と家、どっちで最期を迎えさせてあげたいと思う?」

今のご時世、普通に病院に行って面会はできない。
病室にも行けないし入れない。
できたとしてもタブレットの映像通話で話すくらい。
入院中にとなれば、家族の一番近しい人だけが最後の最後くらいに連絡をもらってから向かって…てくらいでそれ以外は会えない。
退院すれば家で介助したりいろんなお世話しないとだから大変だよ…と。

だけど、会いたい人に会えないまま…と思ったら
家に戻った方がいいのかなと考え、退院することになりました。


「2~3日中が危ない、1週間持たないかもしれない」
「このまま外に出しても大丈夫だろうか」
そう言われて退院、介護タクシーで戻る。
店の裏にある座敷に介護用のベッドをレンタルして置いて
そこで退院後は過ごすことになったんだけど。

家に着いてベッドまで移動すると、しばらくして立とうとして。
病院の中で歩いてたら足がもつれて転んだことがあったとかで
歩くのも正直危ないかも…て言われてたんだけど。
ベッドから下りて歩こうとして、店の仕事場に向かおうとしてる。


本当に父親は「仕事の人だ」って再認識。


そして病院に居続けるのではなく、家に戻ってきて正解だって思った。

退院前後は動くのも話すのもなかなか難しいのかな…と思ってたのが
自分で手すりを掴んで起き上がったり、新聞やテレビを普通に見たり
しゃべるのもはっきりしてきて、入院前とほとんど変わらないような冗談言うくらいになってたり
誰の目で見てもどんどん元気になっていくのが分かる。
往診の先生が「(引継ぎ元の先生から)聞いてた話と違うぞ」と言うほど。
家に戻って家族や親戚、孫や犬に会えたことがパワーになったようでした。

固形物を食べるのも…と言われてたのが「ちょっと食べてみたい」てので
コンビニのあんまんを1個食べたり、寿司やらパスタやらうどんやら。
血液検査で塩分が低いと言われると味噌汁を吸うだけでなく
ポテトチップやかっぱえびせんを口の中でふやかして食べてたり。
飲むものはお茶とお水と三ツ矢サイダー。それとカリンののど飴。


一番元気だと感じたのは「持たないかも」と言われた退院1週間後。
訪問看護で男性の看護師さんが来た時に「手伝ってもらえるかな」と言い
腰に手を回して補助してもらい点滴スタンドを持ってもらいながら
外に出て数分間、店の周りを自分の足でゆっくり1周散歩したとき。

レンタルした車いすに乗って、ひざの上に犬を乗せて孫がそれを押す。
隣にあるコンビニにしょっちゅう行ってて、店員さんとも顔なじみ
誰が来てるかを近くまで行って確認して少し話してたりして。


昼前から夜は2人の妹が見てくれて、自分は仕事終わった夜から朝方まで。
夜中の3時頃に突然起きてなかなか眠らなかったり
朝までずっとテレビを見てたりするときもあれば
寝る前に飲む軽い睡眠導入剤が効いて朝まで起きてこないで
逆に心配になることもあったり。

そんな感じで過ごしてて、いろんな制限されてる以外は至って普通な気がしたし元気だし。
「4年半くらい生きられたから、もうあと4年くらい生きられますかね?」
往診の先生にそんなことを言ってみんなして笑ってたり

ベッドにいる以外は少し前の父親そのもの
おかしいとこあるのかな…ずっとこんな感じなのかな…とか思ってて
最初に言われた1週間どころか3週間が経ちそうになる日の夜。


いつものように寝る前の痛み止めと軽い睡眠導入剤を飲んでしばらくし
だいぶ遅い時間になったから「部屋の電気消す?」と聞き
『もうこんな時間か』『いいよ、そろそろ寝るか』と返した

それが最後の言葉になりました。


翌日、訪問看護の方が来る前から起きてるはずがずっと寝ている
声を掛けても揺すっても起きない深い眠りになっている。
腕をつねる?とそれを振り払うらしいが、刺激を与えても起きない。
「これはちょっと危ないかもしれない」と言われる。

親戚に連絡する。みんな駆けつけてきた。
日曜日だったから学校や保育園が休みでもともと来る予定だった孫も。
みんなして見守る。いびきかいてて本当に寝ているようにしか思えない。

お昼すぎ、たんがからむようにいびきがゴロゴロというようになった。
病院であればそれを吸引する器具があるけど家にはそれが無い。
「何かあったときは」と伝えられてた訪問看護施設への緊急電話をして
そういった器具を今すぐ持ってきていただけるとの応答をいただき
電話を切った直後、1~2分くらいたったころだったかな。

ゴロゴロと鳴ってたその音が消えました。
飲みこんだのかなと思ったら、呼吸が止まってる。
静かになった。手首を触っても脈が無い。


眠ったまま…だったのです。

ドラマで痛い痛い言いながらだの苦しそうな感じのを見たことあったけど
そんな様子がこれっぽっちも無いまま。
だから、苦しまずに旅立てたのかなって。


パジャマから着替えるとなり、普段のような姿にさせてあげようと。
仕事で着ていたつなぎを着させてあげました。
それこそ寝る時も着てたりしたから、本当に寝てるようにしか思えない。
ただ違うのは寝息が聞こえないだけ。

その姿を撮っていいのかためらったけど、撮ってしまいました。
だけどここにはさすがに…て思って貼るのはやめます。


亡くなる前日もいたって普通だったのですよね。
自分とも仕事がどんな状況になってるとか、どこの人が来たとか
接客で応対してるのを座敷の戸を開けて聞いてたりとか。

夕方、妹たちと話しながら「あした(孫を)連れてくるよ」て言われたら
ベッドから下りて立ち上がって、自分の足で4歩くらい歩いたとか。
すぐに戻って「もうちょっと元気にならなきゃだよな!」て言ったとか。

……その翌日にそうなるだなんて思いもしないから。
……何なら自分が最後の言葉を聞いた数時間前だよ。

それこそ、そのあとに妹たちと話しながら見てたテレビ番組のコーナーで
「コロナ禍でのお葬式事情は」的なのをやってたとかで
(てかすごいタイミングでそんなの見たなあ)
「そうだよな、自分ので来てもらって感染したら怒られるよな」
「俺の時は大きくやらなくていいよ、お金かかるしな」て言ってたとか。
仕事関係の県内外の方々からいろんな連絡いただいてたけど、
故人の意向ってことで、家族と近しい人だけでさせていただきました。


棺に納めるときの姿はつなぎのまま。
本当は白装束を着せるんだけど、あのカッコが一番だなって。
お化粧してもらったら、本当に寝てるようにしか思えない。
そのまま起きてくるんじゃないかって思っちゃったもん。

出棺の時間だけは近所の方にも伝わってて、お見送りしていただけて。
自分が喪主だったから家を出る前にあいさつさせてもらったんだけど


思いっきり泣いてしまいましてね。まあしょうがないよね。



亡くなって2か月がたちまして。早いよなあ。
先月中旬に四十九日も終わってお墓に納めてきた?んだけど
未だに夜に一人でいると淋しいって気持ちが出るんだよね。
最初の1か月は「これからどうしていいのか分かんない」て思っちゃった。

当たり前だよね。
この世から両親がいなくなってしまったのですから。
祖父母ももういない。親戚は近くにいるとはいえ、会う機会もそう無い。

仕事のこともそう。
今まで2人でやってたことを急に1人でしなきゃだし、
1月~4月上旬がうちは一番の繁忙期なんだけど
去年まで2人がかりでやっとできてた事を自分1人でやんなきゃいけない。
忙しい時期は気が張ってるからまだいいけど
その時期を過ぎて張ってるのがプツンとなるかも。

そう考えてたりしたんだよね。
いま5月になって、だいぶ落ち着いてきたかな。
なんとか今も持ちこたえてる状況でいます。


今度は自分がぶっ壊れた、とかならないようにしなきゃだよほんと。
いろいろ心配なことがありすぎるけど、大丈夫かな、自分。


甘えてるようにしか聞こえないかもしれませんが。
これを見てくれた方、もしなにかあったら手を貸していただけますか。
そうでなくとも、これからどうなるかって思ってるのですが。

もう群馬の外に出られないのかもしれないけど。
行きたいと思ってた場所に行けないかもだけど。
会いたいと思ってた方々に会えないかもだけど。

今までと変わらずあしらっていただけたら。
それだけでありがたいです。


がんばる。

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