伝承の日本史3〜 ヤマト葛城で勢力拡大


西出雲の八千矛王は猪の目洞窟で枯死。
東出雲家の八重波津身(事代主)が粟島で枯死。
の事件で、徐福渡来集団との共存を嫌う人たちもいた。
西の出雲・神門王家もそれだった。

神門王家アジスキの息子・多岐都彦もクシヒカタを頼りに葛城に移住した。この家は「高鴨家」と呼ばれた。

彼が住んだのが葛城川の上流で、アジスキとタギリ姫を祀る高鴨神社を建てた。

また、豊年の神である大年神、叔母の高照姫を祀る葛城御歳神社も建てた。

大屋姫は息子タカクラジとともに葛城に移住。大屋の町名が残っている。

タカクラジも、その後紀の川の河口(和歌山)に移住。大屋都姫神社を建てた。


徐福が持参した竹や梅を植林したから、その地は「木の国」と呼ばれて紀伊の国になった。
タカクラジの家は後に紀伊家。紀伊国造になった。
この家と高鴨家は近いので、両者で大きな影響力を持った。

記紀では、登美家、尾張家、物部家が古代史を動かしたことを隠している

ここから先は

908字
りーかお総研独自の古代史探求。猛烈に更新するときはすると思われます。考察活動のサポートがてら購読いただくと嬉しいです!

古代日本に何があったのか。マニアックな本を紐解きつつもアウトプットしないと整理がつかないので、逐次のメモ&解説です。 一般的な古代史研究に…

期間限定 PayPay支払いすると抽選でお得に!

マニアックな話だから読んでくれる人がいると嬉しいです!価値を感じてくれたら良ければサポートしてください。書籍代になります