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金井南龍おぼえがき

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最近になって、金井南龍という昭和期に活躍された神道家の存在を知りました。 彼の言及であまりにも興味深いのが「白山王朝(=前王朝)」および白山神界への言及と、天津金木・フトマニクシ… もっと読む
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金山彦・ニブツ姫・ヒツジ姫

こちらも「さすら」誌の紙面から。 昭和59年の段階で、その後の中国の台頭を予見していること、「金(ゴールド)」に言及していること、兌換紙幣が意味を持たないことなどに言及しているのは慧眼だと思いました。 個人的には、なにより「御神島と丹生」に言及されていることが凄い。自分が訪問したタイミングで、その謎解きをしている過程で、偶然にも「さすら」を目にすることができて、かつ、何冊もある冊子であるはずなのに、偶然手にした一冊に、この件が記載されているのを見つけたわけですから、ちょっと

丹生津姫(その二)

偶然にも「さすら」誌を目にすることができたので、丹生津姫の項を掲載しておきます。 ここで言及されている通り、やはり「若狭ー丹生ライン」は常人には分かり得ない日本における二大ノット、ということが前提となっている。

十一面観音(2)

白山に行くにはどちらから行っても山を一つ越えなければいけない。 その山を十一面観音とした場合、クシロはどこへ伸びているか。 するとここに一つの線ができる。 若狭姫、真一目、川上から丹生へ。 そういう神々がおわしますので信仰していたが、地図で見れば一直線。

十一面観音(1)

*この項は未だ理解が難しいのですが後学のためのメモとして。 夜叉と観音=背中合わせ 頭が切れ、頭脳明晰で色香もあり、悪事スレスレのことをしてもなぜか咎められない、悪意がバレない敏腕でありながらも、のほほんとして男に警戒心を抱かせないような女である一方で、邪険に扱えば、たちどころに病死したり災いを招いたりする女。会社の秘密を全て握っていて、関係を切りたくても怖くて切れないような。 それが自分を犠牲にしても弟や妹の面倒を見るような女。溢れる愛情と知恵で子育てをする非の打ち所の

コン・ゴン・ハク・スイ・ダラニのヒエラルキー(1979)

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白山神界の埋没とその復権(1979)

こちらの続きです。 ー現天皇家(天照神界)以前の現界、および神界のヘゲモニーは?

金井南龍インタビュー(1979年)〜フトマニクシロ

*このインタビューでは、「五十鈴のフトマニクシロ」「斎宮制度」と皇国史観について語られています。 8合目、10合目が何を意味しているのか、現時点ではわたしにはわかりません。 天皇家の霊的根幹と国家神道の限界

金井南龍インタビュー(1987年)から〜死後ゴミになるか高天原に行くか

個人の救済は?今この世に生きている者で、魂を磨いて永遠の存在にしようとする人間いるか? 阿弥陀さんなり観音さんなりにすべてを委ねて本当の安心と永遠の生命を見つけてる坊さんいるか? 赤ん坊は母親がスプーンで掬ったものを、うまいもまずいも言わず安心しきって食べる。そこに母親の存在があるから。この母親を観音さんとみなすことができるのに、大人になるとあーでもねえこーでもねえと言い出す。 観音さんにすべてを任せますか?と聞けば、その辺の人間は「一応検討してから、、、」などと言う。そんな

金井南龍インタビュー(1987年)から〜稲荷経済と龍宮経済、富士の真柱

お稲荷さんの行列上州(群馬)生まれ。 子供の頃から、お祭りにお稲荷さんのやってくるのが見えていた。「稲荷道」のように、各地方のお稲荷さんが行列してやってくる。葬式や結婚式に親戚が集まるのと同じ。 おいなりさんは自分を認識していて、来るときにはお土産を持ってきてくれた。自分も小学校に上がる前ごろから、各地の稲荷、笠間稲荷、竹駒稲荷、伏見稲荷などに遊びに行っていた。 例えば夜中に「栗まんじゅうが食べたい。笠間でご馳走になろうかな」と思えば、狐がタクシーのようにやってきて乗せて行っ

大石凝真素美の功績とその時代 〜天津金木学、真訓古事記

天津金木学明治10〜12年(1877〜79)大和再遊へ。この頃から神秘学のおもむき。 天照とスサノオの子供、五彦御子誕生は近江なりと唱え、また三姫神は竹生島と云い、一般的な人々の理解及ばぬようになる。 近江野州(やす)より海路で蒲生郡の八幡に至る船中において水面に描かれた波紋を見て、言霊学における水茎文字を発見。

大石凝真素美の功績とその時代〜真素美の鏡

「言霊学」「天津金木学」においては故 大石凝真素美先生の研究なしには進まないだろうということがわかってきました。しかし現在手にできる文献や資料は極めて少なく、また門下生だった方々に関しても詳細を知るに至りません。 金井南龍氏が言及されたものから多少読み解けるので、こちらにメモ書きを残します。 大石凝真素美翁(先生)の生きた時代背景まで含めて考えることができるかと思います。

大石凝真素美と真訓古事記〜笠井叡:音とカラダ

【はじめに】 今年わたしは「金井南龍」氏という故人の存在を知り、それによって「白山王朝」について確信を深めるべく踏み出した際に、京都で小野田さんから「笠井叡」氏を教わり、両者が揃って言及しているのが大石凝真素美(おおいしごりますみ)という、江戸末期から明治に活動し大正に没した国学、言霊学の巨人である。この大石凝真素美翁が絶対宇宙法則とも言える「天津金木」という理を学説化し、その運用法を解き明かしたたった一人の人物であるが、当時これを理解する者はおらず、当局からの監視締め付け

金井南龍

まずはどんな人物なのかをwikiからの引用メモで。 金井 南龍(かない なんりゅう、1917年6月5日-1989年2月27日)は、日本の宗教家、易者、治療師、画家。神理研究会創設者で、月刊誌『さすら』の編集発行人。本名、金井三吉。筆名、金井久蜘蛛(くくも)。「一人一宗」を提唱した。 1917年(大正6年)、群馬県富岡市に生まれる。生まれつき霊能があり、日常的に神霊との交流があったという[1]。20歳で近衛師団に召集され、皇居や御用邸の警備にあたる[2]。22歳で満州に出征