eda
急遽決まった退院日。それが今日。朝7:30起床。朝ごはんをいただき、バタバタと退院準備をする。 今日の夜は夫と家の近くのお寿司をいただくことになった。 病院というある意味隔離された空間から、現実生活に戻っていく。 戻っていく、というより新婚晩婚生活の始まりだ。 いろいろと不安ではあるが、支えてくれている方々に感謝し、恩返ししつつ、ありがたい新たな挑戦を楽しもう。
朝7:30起床。8:00に朝食を食べている間に、すぐに担当医が来る。いつもだが、お医者さんは突然来る。入院患者なので仕方がないが、プライバシーもあったものではない。 「もう退院して大丈夫ですよ、抜糸は通院で対応しよう。というか、いつでも退院して良かったんだよ」 え! あんなに「退院できない」(もっと正確に言うと「医師に聞かないと退院目処はわからない」)と聞いていたのに。 それはそうとして、急に決まった退院。入院13日目となる明日が退院日である。 3食昼寝つき、リハビリ
入院2週間予定と言われていたので、おそらく退院日が近い(はず)。 結構直前まで退院日が確定しないようで、まだいつ退院する日なのかがわからない(笑)。 1年半前まで、主に仕事の予定、そこに学習やプライベートの予定も入れて非常に忙しくしていため、こんなに時間があって、あまり刺激のない日々は初めてだ。 ただ、ずっとそれを欲していた。前職の職場を辞める前に私が関心があったのは「リトリート」であったり、都会で忙しく働くビジネスパーソンの安らぎの場、武装しまくった自分から子どものよう
病院で迎える2回目の週末。6:50頃起床。 今日は午前中、夫が面会に来ることになっている。家族でも30分という短い時間。 入院生活に慣れてしまって、もうすぐ退院して新生活が始まることがやはり信じられない。 昨日の夜は、消灯(21:00)が来る直前に、マンダラチャートを書き上げることができた。 少し前から書きたいと思っていたが、思いつかずに筆が進まなかった。 今日という日、この1時間、次の10分、を大事にしていこう。
入院9日目。今日は金曜日。明日は週末だけれども、入院生活に平日と土日の区別はない。メンタル・フィジカルともに快調。 病院内では多くの職種の人が話しかけてくれ、天気が良く、開放的な病院で、健康的な食事を食べ、この上ない療養になっていると感じる。 退院したら、結婚したばかりの夫との家庭生活が始まる。家庭生活というものを営んだことがなく、一抹の不安を覚え、大学の同期LI NEで相談。今やいろんなサービスを駆使して皆家庭生活を営んでいるようだ。 生きていくためには立ち止まること
入院生活も折り返しとなった(おそらく)。 リハビリも3日目となり、足上げ運動、エアロバイク、とだんだん運動の負荷が上がってくる。リハビリ施設に置いてあるマシンは、以前通っていた区営のジムを思い出す設備。 こちらの本を読み進める中で、数年前から気になっていた「幸福とは何か」「地位財・非地位財」といった話が出てくる。 なぜかできてしまった人生の暇の中で、ずっと考えたかったことを追求できるのはありがたい。 以前、以下のnoteで書いたが、振り返ると2/4が叶っていたビジョンボ
入院してもう1週間が経った。時の流れは早い。 看護師さん、お医者さん、作業療法士の方、同室の方…この建物内で一緒に暮らしている人たちのお顔を覚えてきた。 外界からある意味隔離され、ストレスも感じず食事と清潔な寝床が提供され、昨日からはリハビリも始まり、適度な運動もしている。 医療関係者の方々はこちらを労るお声がけを常にしてくれる。 意外と、細切れにかつ突発的にいろいろな職種の方からお声がけがあるのでまとまった作業時間は取れない。昨日 4- 5時間は取れる、と書いたが、や
今日は8時に起床。前日睡眠時間が短かったのに、昨日疲れておらず早々に寝つけなかった。今日は夜、上半身のみの全身運動でもしようか。 朝起き上がる前はやや自分に対する嫌悪感、厭世観を感じるが、看護師さんから運ばれるご飯を食べ、代わる代わる来る看護師さん、ゴミ回収の方などと話し、目が合った同室の患者さんと挨拶を交わしているとそのようなネガティブなナルシシズムに浸っている暇もない。 1日の間で医師、事務の方、看護師さんなどいろいろな方と話したり対応したりするが、それらを差し引けば
朝4時頃まで寝付けなかったにも関わらず、今日は7時に目覚め、未だ眠気は来ない。(現在14:00) 朝から今日やりたいタスクを書き出し、順調に消化していく。引っ越しの段取りやその他を進めていくことができている。 個室ではなく相部屋だが、それぞれのベッドがカーテンで仕切られているため、同室の方のお顔を拝見したことはなかった。今日、初めて同室の方々のお顔を拝見し、ご挨拶をする。 美人な担当麻酔科医の先生が病室を訪ねて来てくれ、優しく声がけをしてくれた。「腰の麻酔はどうでしたか
昨日まで痛くて痛くて仕方なかった足の痛みがだいぶんひいてきた。昨日は足が痛すぎてシクシク泣いていた。 階段で足を踏み外してしまった日、足が折れていると思わなかったので、実質足が折れた翌日に病院に行ったのだが、お医者さんには「なんですぐに来なかったの。痛みに強いね」と言われた。 一般的に「男性の方が女性より痛みに弱い」と言うから、夫に「あなたならこの痛みに耐えられないかもしれないよ」と電話越しに意地悪そうに言い「ああ、そうかもしれないね」と素直な夫が同意してくれたことで、
骨折をした。 「うつは心の骨折」みたいなたとえ話があるが、フィジカルに骨折をした。足のくるぶしあたりの骨を折ってしまった。 数日前に入院して、手術して、まだ入院中なわけだけれども、コロナで(まだ!!)面会は週に1回家族のみ10分までという制限があり、病院内の人たち以外とほとんど会えないし要安静なのでベッドの上で天井を見ながらいろいろと考えてしまう。 この1年ほどは病院のお世話になることが多い。健康体で無茶して生きてきたけれど、この年で躓くとは思わなかった。病院には高齢の
過去のことをいろいろと思い出すと気になって仕方がなく、ADHDかどうか、医師の診断を受けてみた。 結果は「まわりのADHDっぽい人や環境に影響を受けてADHDっぽくなったんでしょうね」というなんとも判然としないものだった。(擬ADHDとでも言うべきか。つまり極論するとADHDではない、ということだろうか) 私としても 「はぁ?」という感じで釈然としなかったが、まあ仕方ない。 「あなたは重大な欠陥がありますね」とでも言ってもらえれば諦めがつくが、そうとも言ってもらえなかっ
インターネットが好きだった。今も好き。小学生の頃、父が買ってきた大きなPCでインターネットに夢中になった。ポストペットが出てきて感動した。遠く離れた場所に住む人とインターネットを通じて文通した。 Twitterを通じて転職をした。 インターネットベンチャーに転職した。 フラットで、カオスだった。天才奇才がたくさんいた。そのうち、成熟してくると秀才が多く入ってくるようになった。 フラットでカオスな世界観が好き。たぶん、きっと、これからも。 既存の職場が生きづらい人は、
池袋→恵比寿→中延→白金高輪→中目黒→自由が丘 と、東京にいた時は引越しが多くミーハーな土地に住んできた。 さながら、なんちゃって「東京女子図鑑」の綾。 池袋と恵比寿が一番出会いの濃度が濃かったけれど、その土地土地でいろんな出会いがあった。TOKYOらしいものはいろいろと経験できたように思う。 そして今、私は福岡にいる。来月に差し迫った、福岡内でのお引越し。 次はファミリー層の多い海沿いのエリア。 朝起きてランニングをしよう。朝・昼・夜と料理をしよう。オンラインでヨガ
なぜか今、私は非戦略的サバティカルに突入している。笑 かっこよく「戦略的サバティカルのすすめ」とか言いたいけど、行き当たりばったりに生きてきた結果、いきなり穴に落ちてそこに偶然セーフティーネットがあり、人生の大いなる寄り道をさせてもらっている。 ネットワーク理論に「弱い結びつきの強さ(strength of weak ties)」というものがあるけれども、最近「ゆるいつながりのありがたさ」をとても実感することが多い。 ゆるくつながり続けている学生時代の友人、前職、前々職の
「今年の目標は○○というテレビ番組(全国ネットの超有名なTV番組)に出て△△の商品を有名にする!」 「結婚しても子どもができても、世界中を旅するライフスタイルを続ける!」 私の周りには、無謀と思える夢や目標をキラキラとした顔で語り、実際に叶えていった友人たちがいる。 私も、彼・彼女たちと夢や目標を語るのが好きだった。そして、人生は希望にあふれ、自由自在にデザインできるものだと思っていた。 それは年を重ね、自分や家族など制約条件ができてきたとしても、やはり「思った通りにな