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トルコ地震の現状報告~アダナ・オスマニエ

というわけで頂いている義援金をどう使うのか、、、、
セノールさんが3つ案を出してくれましたが、その中のベルガマに来ている被災家族に援助するというのはパパティア会議で土屋さんが提案してくれた案と一致します。ただ家族の数が多いので家電品などの大きなものは買えません。
セノールさんの提案は、今ラマザン中でそれがあけるとシェケルバイラムになるのですが、それに併せてヤルドゥムコリシという援助物資支援という習慣があるのだそうですが、それを配ったらどうか?というものでした。
費用的には丁度くらいになります。

とはいえ、被災地を見てみないことには、判断がつきません。

というので、第二週目は被災地に行くことにしました。
イズミルからは、アダナ、ガジアンテップへの直行便があります。
ハタイ空港は民間機はまだ飛べてないようなので、イズミルからアダナに飛んでそこから車で行くことにしました。

まだ道路がズタズタかも、という不安もありました。

サルペル一家に会いに行き、サルペル一家は被災地に物資をと、方針がまとまりません。サルペルさんのお父さんセルダルさんは、以前の大地震の時も援助に行ったそうなのです。買えるだけ積んで いった先で配ろう、というトルコ人気質です。

ただ、私は今回の義援金の使い方で、不公平になるようなことはしないと決めているのです。もちろんそういう方法をとっている援助団体もあるのですが、やはり自分はもらった、自分はもらってない、のようなことはしたくないのです。きちんとターゲットを絞りたいのです。

なので、行くのは二回。今回は調査。
二回目は援助。と決めました。今回サルペルとセルダルさんと私の移動費用は私の個人持ちです。

というので、アダナに早朝の便で飛びました。車を借りて、セルダルさんはハタイの知り合いのところへ持っていく救援物資をアダナで調達しておりました。

アダナは、ところどころテントはありますが、40日後は問題はない様子でした。

そのあとにオスマニエに行きました。ここはベルガマ市が援助していて、私たちが市のトラックに援助物資を相乗りさせてもらうなら、ここのバフチェ区というところになります。



https://youtube.com/shorts/3HMWd_JZRWg?feature=share



看板はす全てこれに替わっていました


バフチェ区はオスマニエの中でも東端にあり震源に近いところです

建物の損壊は結構みられましたが、全壊しているビルはそれほど多くはありません。

ハタイよりも被害はあるけれど、ここは割合大丈夫そう、、、というように思いました。区は山の中にあって、その真ん中に川が流れていて、川が作った地盤に建っていた建物は損壊が激しいのですが、山の方の地盤は岩でそこの建物の損壊はないのです。

歴史的建造物の尖塔が壊れていました


オスマニエの風景です



募金の方ですが、皆様のお陰であと18万円くらいになりました。
あと少し。頑張りますよ。私は。


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