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【企画参加:第二回「絵から小説」】Misha ーミシャー

「一杯、ご馳走してくれる?」
行きつけのバーのいつもの席で、左隣から声をかけられた僕は少しビクッとした。
ついさっきまで、隣の席は空いていたハズなのに、いつの間にかそこには少女が座っていた。
本当に、いつの間にか、気配も音もなく、スルリと。
「いいけど、キミ…」
まだ未成年なんじゃないのかい?と問う前に、少女はバーテンダーに「ミルクを」と注文していた。
「ホットミルクでよろしいですか?」
「冷たいままでお願いします。熱いのは苦手なの。」
バーテンダーと少女のそんな遣り取りを聞きながら、(もう肌寒い時期なのに、冷たいミルクを飲むのか)などと、どうでも良いことを考えている自分が少しおかしかった。

逆ナンか?と浮かれるほど、自惚 うぬぼれてはいない。
神待ち的なヤツか?とも思ったが、バーでそんなことってあるんだろうかとも思った。
美人局 つつもたせか?この可能性は大いにありそうだ。
僕は気を引き締めた。

「ねえ、私のこと覚えてないの?」
少女に問われて僕は改めて彼女の顔を見つめ直した。
一言で言うと美少女。
ミディアムカットの、少しブルーグレーがかった髪。
透き通るような肌。
スッキリとした鼻に、ふっくらとした唇。
そして何より印象的なのは翡翠 ひすい色の瞳。
こんな個性的な瞳の少女に出会っていたとしたら、忘れるハズはないだろう。

「覚えているも何も、初対面だと思うけど。」
僕がそう答えると、彼女はガッカリしたような顔をした。
その表情が作り物とは思えず、僕は少し戸惑った。

彼女はほんのちょっぴりずつ、舐めるようにゆっくりとミルクを飲みながら語った。
「本当に何も覚えてないの?」
「私のこと、すごい美人さんだって言ってくれたのに。」
「特に目がステキだって誉めてくれたのに。」
「…おうちに誘ってくれたのに。」
えっ?この、今、何て言った?
おうちに誘ってくれたって、イヤイヤイヤ、あり得ない。
この僕が、未成年と思われる女の子を褒めちぎったうえに家に誘うなんて。
これはもう、人違いをしているか、美人局 つつもたせか、はたまた新手の犯罪行為か、そのどれかとしか思えない。
「ねえ君、君が会った相手って本当に僕なのかな?他の誰かと勘違いしてない?」そう答えると彼女は ひどく傷付いたような顔をした。
「優しい人だって思ったのに、全部忘れちゃうような冷たい男だったなんてガッカリ。もういいわ。ミルク、ご馳走さま。」そう言って彼女は店を出て行った。
店のドアを閉める前に一言、「あなたがくれた名前、気に入ってたのに。」という謎の言葉を残して。

傷付いたような彼女の表情が忘れられず、僕は改めて自分に問いかけてみた。
僕は本当に彼女に会ったことがないのか?
彼女が言っていたように、彼女を褒めて、家に誘ったことはなかったのか?
素面 しらふではあり得ないとしても、酔っ払ってやらかしてしまった可能性はないのか?
僕はふだん、記憶を無くすほど飲むタイプではない。
でも1人飲みが多いため、僕の言動について証言してくれる人は誰もいない。
だから一度自分を疑い出すとドツボにはまってしまう。
特に先週は、長い間苦労して進めてきたプロジェクトが無事に終了したことで、開放的な気分になっていた。
「開放感からつい飲み過ぎて、帰り道で女の子を口説いてしまった」なんてことはなかっただろうか?
なかった…と思う…多分…おそらく…
ああ、ダメだ。自分に自信がなくなってきた。
これから当分、酒は控えた方が良いかもしれない。
今日ももう、これで帰ろう。
僕はバーを後にした。

バーを出て歩いていると、頭上から「ナァ~ォ」という声が聞こえてきた。
顔を上げると、ブルーグレーの猫が塀の上から僕を見下ろしていた。
そして、僕は全てを思い出した。
そうだ、僕は確かに会っていたのだ。
あの翡翠 ひすい色の瞳に。

*-*-*-*-*-*-*
あれは、そう。先週の金曜日のことだった。
その日、僕は心血を注いできたプロジェクトが無事終了した解放感で少し浮かれていた。
いつものバーで、いつもよりもちょっと多めに酒を飲んで、いい気分で家路についていた。
そこで出会ったのだ。
翡翠 ひすい色の瞳の猫に。

その猫は薄汚い路地裏で、まるで女王のように毅然 きぜんと座っていた。
そして僕を見ると一声「ナァ~ォ」と鳴いた。
まるで「近こう寄れ」とでも言うように。
引き寄せられるように近づくとまた「ナァ~ォ」と鳴く。
自己紹介を促されたような気がして僕は彼女に自分の名を告げた。
正直、猫の雌雄の区別なんてわからなかったけど、その猫の女王様感がハンパなかったため、僕は自然と彼女を女性として扱っていた。
「こんばんは、君は自由な猫ちゃんなのかな?」
「ナァォ」
「そうか。自由に生きているんだね。それにしても君は、凄い美人さんだね。特にその瞳。まるで宝石みたいですごくステキだ。」
「ナァォ」
「ねえ、君には名前はあるのかい?」
「…」
「ああ、自由な猫ちゃんだから名前はないのかな。だったら僕が付けてもいいかな。うーん、そうだ、『ミシャ』っていうのはどうだい?
僕の故郷は長野県の蓼科ってところなんだけどね。そこに『御射鹿池 みしゃかいけ』っていう池があるんだ。そんなに大きくはない溜め池なんだけどね、新緑の季節には木々の緑を映して翡翠 ひすい色に輝くんだよ。まるで君の瞳みたいに。」
「ナァ~ォ!」
「おっ!気に入ったのかい。じゃあ、君の名前は『ミシャ』で決まりだね。でさぁ、ものは相談なんだけど、君、うちの子にならないかい?」
「…」
「僕はいつか猫と一緒に暮らしたいって思っていてね。今住んでるアパートもペット可の物件なんだよ。だから、もし君さえよければ僕のパートナーになってくれないかな?僕は昼間は仕事で留守になっちゃうけど、留守番がイヤだっていうなら大家さんに相談してペットドアを付けてあげるよ。そしたら君は今と変わらず自由に外を歩き回れる。ゆっくり休みたくなったら僕の家に帰ってくればいいんだよ。ね、君にとって悪い話じゃないと思うんだけど、どうかな?」
僕はてっきり、交渉は簡単に成立するものと思っていた。
だがミシャは一声「ナァ~ォ!」と鳴くと、身を翻し路地の奥に消えてしまった。
「初対面でお持ち帰りされるほどチョロい女じゃないのよ。」と言われたような気がした。
*-*-*-*-*-*-*

そうか、あの少女はミシャだったのか。
ということは、今日は僕のパートナーになる決心をしたことを伝えに来てくれたのかな。
それとも「僕が彼女のパートナーとしてふさわしいかどうかの最終面接」的な感じだったのかな。
もしそうだとしたら、今日の僕は「適正ナシ」と判断されてしまったのだろうか?
え、ちょっと待って。それはあんまりじゃないだろうか。
だって、僕は猫が少女の姿に変身できるなんて知らなかったんだから。
あれ?もしかしてそれって、僕が知らなかっただけで一般常識なのかな?
僕の周りでは誰も、そんなこと教えてくれなかったけど。

僕は思い切って塀の上にいるミシャに直接交渉をしてみることにした。
「ねえ、ミシャ。さっきはゴメンよ。君が人間の姿になれるなんて知らなかったから、君だってことがわからなかっただけなんだよ。
ねえ、僕にもう一回チャンスをおくれよ。
僕が君のパートナーにふさわしい人間だって証明させてくれよ。」
交渉というよりは懇願という感じになってしまったが仕方がない。

ミシャは「もう1回だけよ。」と言うように「ナァ~ォ!」と鳴くと、塀の向こうに消えてしまった。

よし、明日もう一回この路地に来よう。
そうだ、デパ地下に寄って、飛び切り上等のかつお節を買って来たらどうだろう。少しは僕の誠意が伝わるんじゃないだろうか。
そして、もしミシャが機嫌を直してうちの子になってくれたなら、一緒に御射鹿池 みしゃかいけに行ってみよう。
あの翡翠 ひすい色の瞳に、御射鹿池 みしゃかいけはどう映るのだろう。
僕の故郷の景色を、ミシャは好きになってくれるだろうか。
僕がミシャの瞳に惹かれたみたいに。

-了-

第二回「絵から小説」について

清世さん、はじめまして!
みなさん、こんばんは。
Atelier Crown*Clown(アトリエ クラウン*クラウン)のかおりんです。

見出し画像のステキな雰囲気のまま物語に入っていただきたかったため、こんなタイミングでご挨拶する形になってしまい申し訳ありません。

この記事(作品)は清世さんの自主企画、第二回「絵から小説」に参加させていただくために執筆したものです。
「絵から小説」とは、「清世さんが描かれたステキな作品からイメージを膨らませて小説か詩を書く」という企画です。
お題の絵は3枚ご用意くださっていたのですが、今回私はその中の「C」で参加させていただきました。

力不足ゆえ、絵の素晴らしさに見合うような小説を書けずに心苦しいのですが、何事も挑戦だと思って参加させていただきました。
清世さん、ステキな企画に参加させていただき、ありがとうございました!

御射鹿池《 みしゃかいけ》について

作品の中に登場する「御射鹿池 みしゃかいけ」というのは長野県茅野市に実在する池で、「緑響く」という日本画のモチーフになった池として知られています。
新緑の季節はもちろん、秋の紅葉の時期も燃え上がるような美しさだそうですよ。
私は長野県に住んでいながらまだ見に行ったことがないのですが、近いうちにぜひ見に行ってみたいと思っています。

改訂履歴
2022/02/21 :新規

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