子なし夫婦は家族になれるのか?〜「中華まんの日」に捧げるエッセイ〜
みなさん、こんにちは。
Atelier Crown*Clown(アトリエ クラウン*クラウン)のかおりんです。
本日、1月25日は「中華まんの日」ということで、中華まんにちなんだエッセイを書いてみました。
タイトルは重~い感じですが、「夫婦でコンビニの肉まんを食べたよ」という程度の軽い内容ですので、ぜひお気軽に読んでみてくださいね。
子供がいない夫婦は可哀想?
私達夫婦には子供がいない。
これを言うと、痛ましいものを見るような目で見られてしまうことがよくあるのだが、気の毒がってもらう必要は全くない。
私は身の回りに同世代の子供がいない環境で育ったせいか、自身が子供の頃から子供が苦手だった。
どれくらい苦手だったかと言うと、4歳か5歳の時に、ほんの数日保育園に行かされただけで「子供が沢山いて煩いから、もう保育園には行かない」と宣言して中退してしまったほどだ。
母はその理由を聞いて「そんな、自分だって子供のくせに…」と絶句していたが、私が続けて「あと、園長先生が下品だからイヤ」と言うと「じゃあ、しょうがないね」という話になり、翌日から保育園には行かなくて良いということになった。
そんな一風変わった子供だったため、自分が大人になってからも子供にどう接したら良いのかがてんでわからなかった。
ましてや、自分が親になるなんてことは想像もできなかった。
ハタチを過ぎてから付き合った男性には、必ず「もし将来結婚しても、子供を産むつもりはない」ということを早めに伝えるようにしていた。
じゃあ別れると言われた事は一度もなかったけれど。
そんな私でも、周りの友達に子供が産まれると、その子供達は可愛いと思えるようになった。
子供がいる暮らしも、もしかすると楽しいのかもしれないという気にもなったが、だからといってどうしても欲しいという気持ちにまではならなかった。
出産願望だけでなく、結婚願望もなかった私は、結局36歳まで独身生活を謳歌した。
そのまま生涯、独身でも良いと思っていたのだが、ひょんなことから結婚して早16年。
現在は夫婦2人と柴犬1匹で、案外幸せに暮らしている。
子なし主婦は家族団欒の夢を見るか?
そんなこんなで、子供がいない今の暮らしを私は気に入っているし、充分幸せなのだが、たまにこう思うことはあった。
「子供のいない夫婦は、はたして家族になれるものなのだろうか?」
血の繋がりのない、幼少期や青春時代すらも共有していない男女が入籍して一緒に暮らすようになったからといって、それを家族と呼んで良いのだろうか?
子供という、血の鎹もないのに。
一緒に暮らしてはいるけれど、それはシェアハウスの住人たちとどの程度の違いなのか?
別に、悲しいとか寂しいとかいうことではなく、ただただ疑問に思っていた。
更に言うと私には「家族団欒」というのもよくわからなかった。
私の実家は旅館だったのだが、規模が中途半端な貧乏旅館だったため、家族のための独立したスペースが一切確保されていなかった。
日々の生活は常に肉親と宿泊客と従業員が入り乱れた中にあり、仕事とプライベートの境目も無い暮らしだった。
それは決して不幸ではなかったが、心休まる暮らしでもなかった。
まあ、このような環境で育ったため、私には「家族団欒」というものもうまく想像できなかった。
無理に想像しようとすると「仲良し親子が自宅で和気あいあいと食事をしたり、歓談する様子」が浮かんできて、「コレも子なし夫婦にはダメなのか〜」と思ったりした。
もしかしてこれって?
そんなある日のこと、旦さん(旦那のコト)が、スマホを見ながら「うーん」と悩んでいるのに気が付いた。
「どうしたの?」と聞いたら「セブンイレブンアプリで中華まんが1つ当たったんだけど、1つ貰いに行ったらもう1つ買わなきゃいけないからセブンイレブンの思うつぼだなーと思って。」との返事。
「別に1つ貰って旦さん1人で食べたっていいんだし、私と半分こして食べたっていいんじゃん。」と言ったら、旦さんは「半分こかぁ、その手があったかー。」と言って笑った。
どうやら旦さんにとって「中華まん」とは、私と2人で食べるものであるらしい。
そんな思い込みが私にはなんだか可笑しくて、そして少し嬉しかった。
その翌日、ふらりと買い物に出た旦さんは肉まんを2つ持って帰ってきた。
セブンイレブンの思うつぼにズボッとはまった形である。
その肉まんは3時のおやつにお茶と一緒にいただいた。
肉まんを食べていると、愛犬のりくがいそいそと寄ってきたので、皮の部分をちぎってあげた。
2人と1匹のホッコリと穏やかな時間。
おや?これってもしかして「家族団欒」なのではないかしら?
16年の夫婦の時間と、8年の愛犬との時間は血のつながりのない男女と柴犬をゆるゆると家族の絆で結んでくれていたらしい。
子供がいない夫婦だって、ちょっと変わった幼少期を過ごしてきた人だって、夫婦としてささやかな日々を積み重ねることでちゃんと家族になっていけるのだと、そんな幸せを肉まんと共にかみしめた午後だった。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!