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【No.27】オカンは世界のデフォルトだ

「あいつ、オカンの次くらいに嫌いっす」
前職で隣の席だった営業担当者の口癖のような言葉。かなり歪んだ性格の人で、周囲の悪口を言いまくり、結構私も振り回されたけれど、心から憎むことがなかったのは、オープンで中途半端にデキナイ人だったからなのだと思う。

彼は自分ができないのを認められない代わりに、周囲を落とした。どうでもいいことでも人をこき下ろして、笑いのタネにしようとした。例えばコンビニで傘を買って、「今お使いですか?タグを切りましょうか」と聞かれた日には、怒り狂った表情で会社の扉を開けて、「こんなこと言われたんですよ。すぐに使わないのにコンビニで傘買う人なんていますかね。それも雨の日に」という。

その他にもコンビニネタがたくさんあったのだけれど、私にとってはどうでもいいことすぎて、もはや思い出せない。常識で考えると、聞かずとも先にやれ、という彼のコンビニの店員さんに対する愚痴はたくさんあった。
それだけ期待値があったのだろうと思うけれど、それは良いことなのか悪いことなのか、あまり常識的でない私には分からない。オカンの次に嫌いと言われる人が、めちゃくちゃ嫌われているのか、そこそこ好かれているのかすら、判断がつきかねる。

彼のご両親は、京都のメーカーのお偉いさんで職場結婚だったという。オカンは、スポーツも音楽も語学も、何をやらせてもできる人らしく、その情報しか分からない私には、オカンがどういう人なのか全く分からない。
オープンなのに、そこら辺の情報はかなり限られているのだけど、デキるご両親からの期待を受けて、彼も苦しんだのかもしれない。それくらいしか想像できない。

同じようにオカン、オカンと言っていた人ともっと前に一緒に働いていたけれど、その人は親との縁が薄く、「オカン像」を年上の私に被せてくる人だった。
「聞いてくださいよぉ」と週末になると甘えた声で電話がかかってくる。自分の仕事上の立場の苦しさから、友達ができない、挙げ句の果てにはセックスライフまでプライベートな悩みをぶちまけまくった挙句に「本当にオカンみたいに話聞いてくれて、ありがとうございます」といつも締め括った。

おい、勝手にオカンにするなっ。10歳も変わらんやろ。というのは、心の中の呟き。
兎にも角にもオカンのあり方は、それぞれの人生のデフォルト、尺度になっているようだと思う。特に男たちの。

翻ってうちの息子は、オカンではなくババアというけれど、幸いなことに私の周りには、自分は働いていたくせに専業主婦万歳な祖母、谷崎潤一郎の小説の主人公のような破天荒な叔母、バリキャリの申し子のようなもう一人の叔母、右翼疑惑すらある古風な叔母、あとはたくさん我が家にママ友たちが訪れてくれていたせいで、「色んな女性がいる中で、どうやら母は変わっている」と思っているらしい。

本当は、私ほど平凡な考えの持ち主はいないのだけれど、彼が色々と人生の学びを進めている中で、私が定規の役割を果たす必要はないかなと、まともなフリをするのはやめて、あえて過激な発言をしては失笑されている。
もう21歳だから、あと少し。いつまで一緒にいられるのかしら。

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