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牡牛座16度「ファウスト」

2018年5月5日22時25分、トランジット太陽が牡牛座数え16度(満度数で15度)へ入ります。黄経45度に太陽が入る日、すなわち二十四節気の「立夏」でござるよ。牡牛座数え16度のサビアンシンボルをぎゅぎゅっと五文字くらいに圧縮すると「ファウスト」

「♉16ファウスト」の原文チェック。黒字が1925年ジョーンズ版「An old man attempting vainly to reveal the Mysteries 大いなる神秘を解き明かそうとむなしく試みるある老いた男」。青字が1975年ルディア版「An old teacher fails to interest his pupil in traditional knowledge. ある老教師が自分の生徒に伝統的知識への関心をもたせることに失敗する」

「♉16ファウスト」の原文1925年ジョーンズ版。 Mysteries と大文字であることにご注目。大文字で強調してあるからには、そんじょそこらの神秘ではない。大神秘。しかも複数形。この老いた男は、たとえば世界の成り立ちとか神慮とかを明かそうとムダに(vainly)試みて失敗している。

一方で1975年ルディア版(青字の方)。一見、ジョーンズ版とかなり違うことを言っているように見えません? これ。ジョーンズ版の老いた男=ルディア版の老師と想定すると、何かおかしな感じがします。でも、仮にジョーンズ版の老いた男がルディア版の老師の教え子であったとしたら?

「♉16ファウスト」の番地チェック。牡牛座後半(復路)の、第1グループ(はじめ)の、第1度数。どの5度組でも第1度数はそのグループのテーマをバン! と打ち出す。磯野家で言ったら第1度数は波平。よくも悪くも家長。磯野家の代表者。表札「磯野」を背負う者。

番地チェック番外編。よくサインの数え16度は対向サインの影響が流れ込むポイントと言われます。それは画像のような意味です。仮に牡牛座数え1度で新月が起きたとすると、太陽が15日で15度動く間に月は195度動く。太陽が牡牛座数え16度に来たら月は蠍座数え16度に来る。

これはドデカテモリーの考えかた。黄道360度の12分割であるサインをさらに12に分けて、ひとつのサインの中にまた小さな12サインがある、と仮定する。そうすると。サインのちょうど真ん中(数え16度)はそのサインの中にある、ちいさな対向サインの性質を帯びた区間となる。

牡牛座数え16度(から、牡牛座数え18度の前半まで)は、牡牛座の中のちいさな蠍座に当たる区間。牡牛座は「感覚的な満足」を目指していくサインなのだけど、蠍座は「感覚的な満足以上の満足」が欲しい。「もっと、何か、こう……違うんだ。自分が欲しいのって本当にこれだったか?」

牡牛座数え16度は牡牛座の折り返し点。牡牛座数え1度に対して「その大テーマ、最初はそれでいいと思っていたんだけどさあ。今にして思うんだけど、本当にそれでよかったのかなあ?」とツッコミを入れてくる。サインの中のちいさな1ハウス7ハウスと考えてもいい。

牡牛座の折り返し点にある「♉16ファウスト」。このシンボルは「♉1山の清流」が打ち出した牡牛座の大テーマにツッコミを入れる。逆らう。高きから低きへ、勾配に従い重力に従い、ひたすらに山肌を駆けくだる。それでいいのか?それだけでいいのか?本当に?

「♉16ファウスト」はサビアンシンボル物語シールの販売元・ホロスコープスキーさんから「名前が2行になって据わりが悪いけど言い換える?それともこのまま?どういう意味でこの用語に?」と問い合わせを受けて「2行になってもファウストで!なぜなら…」と4500文字で熱く返したシンボルです。

これから、 ホロスコープスキーさんに返したそのメールからの引用を交えて「なぜ他の何でもなくファウストである必要があるのか?」という長い長い話をします。1ツイートにまとめるならば「言い換え候補と比べても『ファウスト』がいちばん『ことばの飛距離』が長いから」です。

「大いなる神秘を解き明かそうと空しく試みる老いた男」の超要約が「ファウスト」でなくてはならない理由。それは「ファウスト」の名前と彼の有名な物語がこのシンボルを理解する鍵であり、扉であり、彼こそが牡牛座16度の世界を生きた男であり、その世界の水先案内人であるから。

他のことばにすることは可能ではある。たとえば「コレジャナイ」とか「聖なる不満」とかにすることはできる。それらもこのサビアンシンボルが示すものではあるから。だけど、そうしてしまうと牡牛座16度への理解は、そのことばのところで止まってしまう。

「コレジャナイ」や「聖なる不満」は「ファウスト」ができるほど遠くへは読むひとを引っ張っていってくれない。なぜか、という話をこれからします。ざっくり把握する「ファウスト」の物語紹介を含めて。

このサビアンシンボルはジョーンズ版とルディア版、ずいぶん違うように見える。でも、このふたつは牡牛座16度の本質をふたつの方向から表現しているもので、中身は同じ。試みたけれどうまく行かなかった側から描いたのがジョーンズ版、彼に教える立場から描いたのがルディア版。

「学問を修めればあらゆることがわかると思っていたのに、長年やってみてわかったのは『俺がほんとうに知りたかったのはこれではない。既存の伝統的学問をどれだけ極めても、俺がほんとうに知りたいことを知ることはできない』ということだけだった」

「俺の人生って何だったの。俺はこれからどうしたらいいの」という一場面。ファウスト博士伝説に取材したゲーテの作品『ファウスト』から有名な独白をご紹介いたしましょう。森鴎外訳なら青空文庫で全文読めます(リンク先)。

「はてさて、己(おれ)は哲学も 法学も医学も あらずもがなの神学も熱心に勉強して、底の底まで研究した。そうしてここにこうしている。気の毒な、馬鹿な己(おれ)だな。そのくせなんにもしなかった昔より、ちっともえらくはなっていない。マギステルでござるの、ドクトルでござるのと学位倒れで、もう彼此(かれこれ)十年が間、弔(つ)り上げたり、引き卸(おろ)したり、竪横(たてよこ)十文字に、学生どもの鼻柱を撮(つ)まんで引き廻している。そして己(おれ)達に何も知れるものでないと、己(おれ)は観ているのだ。それを思えば、ほとんどこの胸が焦げそうだ。」

ゲーテ『ファウスト』より 森鴎外訳

続き全文は青空文庫でどうぞ!

ざっくり端折った「ファウスト」あらすじ。あらゆる学問をきわめ、錬金術師でもあるおじさん、ファウスト博士がいた。彼は「なんか違う。まだ足りん。長年学問をしてきたが、それでわかったのは『自分が本当に知りたかったのはコレジャナイ』ってことだけだマジウケる」ってこと。

「結局コレジャナイ、コレジャナイって言ってるうちに俺の人生終わってしまうんだ!ありえないわー」とファウストおじさんは悩んでいた。ここで一曲歌うなら ♪学問すれば解けちゃう神秘ならば 学問すればいいやって 思ってた 極めてた だけどあれ? なんか違うかも…♪

そんな彼のところへ悪魔メフィストフェレスがやって来て「あんたの魂と引き換えに、あんたが望むものをみんな見せてやる。何でもやりたいことをさせてやる。『コレジャナくない人生』を歩んでみないか?」と持ちかける。ファウストおじさんはそれに乗る。

「よし乗った。俺が『コレジャナイ!』って言うのをやめて『This is IT!!  圧倒的にYES! コ レ だ ー ! ストーップ! ここすっげぇいいとこだから止めて!』と言ったら俺は死んで、あんたは俺の魂を取る。これで取引成立だ」

そしてファウストはメフィストフェレスにありとあらゆる経験をさせてもらいながらずっと「コレジャナイ」を言い続けた。♪でも そんなんじゃ だめ でもそんなんじゃ ほら 心は進化するよ もっともっと♪ ファウストおじさんは欲張りなのだ。

ファウストおじさんは成功と同じくらい失敗も重ねた。そして最後は盲目になり、悪魔の手下達がファウストが入る予定の墓を掘っている音を「俺のかんがえたさいきょうの王道楽土」を建設するために民草が鍬を振るっている音だと勘違いしてしまった。

そしてファウストおじさんは「Yeah…This is IT!!  OKグーグル、俺満足しちゃったからここでENDマーク出して」とメフィストフェレスへ言ってしまった。これがかの有名な「時よ止まれ、汝(※世界やら人生やらのこと)はいかにも美しい」である。

ファウストおじさんは地獄へ落ち、その魂をメフィストフェレスが貰う予定だったが、先に死んでいたかつての恋人グレートヒェンが神様に彼の救済嘆願をしていたので、なんと天国へ行ってしまった。OKグーグルことメフィストフェレスは骨折り損のくたびれ儲け。めでたしめでたし。

「現状に満足しない者、常にコレジャナイんだと言いながら次の経験へ向かおうとする人間」がゲーテ版ファウスト博士の人物像。これ、ファウスト博士ではなくてブッダ、ことゴータマ・シッダールタやイエス、ことナザレのイエスにも通底する人物像なのね。

ブッダもイエスも、最初は自分の問題意識を解決できると期待して、それぞれ彼らの出身地域に当時存在した伝統宗教の門を叩いている。だけど伝統宗教の教師たちは若きブッダやイエスが抱えていた新しい時代の問題意識に対して満足のいく答えを提供できなかった。

これがルディア版で描写されている「ある老いた教師が自分の教え子たちに伝統的知識への関心を持たせることに失敗する」という光景。ジョーンズ版の「大いなる神秘を空しく明かそうとする男」というのは同じ場面を探求者側から見た表現で、ルディア版は伝統側から見た表現。

ブッダもイエスも結局「コレジャナイんだよなあ…」と言って伝統宗教から出て行ってしまった(この伝統宗教弟子入り時代にブッダを教えた恩師が『聖☆おにいさん』で「アーラーマ先生」として登場している)。

そして彼らはひとりで山へ登り、瞑想して自分の「コレだ!」を掴んだ(ブッダもイエスも山に登っている。そしてふたりともそこで悪魔―マーラさんやルシファー―に誘惑されるがそれを退けて彼らの新しい真理へと至る。ブッダとイエスって伝えられている物語が結構似通っている)。

ファウスト博士はブッダやイエスのように「コレジャナイんだよなあ」というところへは来ていた。ブッダやイエスは更に悪魔の誘惑すら「コレジャナイんだ!」と退けて新しい真理を掴んだけれどファウストはそこまで行けなかった。

ファウストおじさんは、ついに悪魔の誘惑の中で満足して「コレだよ…Yeah…」とうっかり口走ってしまったがために死んでしまう。「諦めたら試合終了ですよ」とはこのことよ。彼とメフィストフェレスは「満足したらサドンデス」という契約を結んでいたから。

「コレジャナイ」こそが、「世界って、真理って、俺の人生ってこれっぽっちのものではないはず。そうだろう? なあそうだと言ってくれよ」という聖なる不満こそがファウストおじさんの世界を押し広げ、人生を走り続ける原動力だった。満足したら、諦めたらそこで試合終了ですよ。

「ファウスト」には「『ちがうコレジャナイ、いまこの手の中にあるものだけで満足したくない』と言い続けた男の人生遍歴と彼の目を通して見た世界」の物語が詰まっている。「ファウスト的人間」ということばまで生まれた。「コレジャナイ」と言い続けながら前進する人間のこと。

牡牛座16度をたとえば「聖なる不満」と要約することもできる。「聖なる不満」とは「世界ってこれっぽっちじゃないだろ。もっといいものがある筈だ」という思いのこと。この聖なる不満が人間を前に進ませ、社会を変えると言われている。それをもっと砕いたら「コレジャナイ」だ。

だけど「聖なる不満」や「コレジャナイ」という文言では、読者をその六文字の先へ連れて行ってはくれないの。「ファウスト」ならば、もし調べる気があって検索をすればゲーテの「ファウスト」へ、森鴎外他によって素晴らしい日本語へ変換された訳書へ、行きつくことができる。

そこで彼に出会うことができる。ファウストに誘われて彼の人生を共に旅することができる。全部読まなくてもあらすじ解説サイトやWikipediaへ行きつくことができる。あるいは検索サジェストで「ファウスト的人間」や「ファウスト的衝動」という用語に出会うことができる。

「ファウスト的人間」をググると、最初に出るサイトではこう言っている。「ファウストは決してひとつのところにとどまっていることはできない。現状に満足せず、常に現状を変えようと行動し、努力し続ける。こうした『ファウスト的人間』はヨーロッパ的人間の原型といわれる」

有名な物語や、その物語に登場する人物・事物は、その名前が膨大な情報への扉になっている。日本人全員が、あるいはサビアンシンボル物語シール購入者全員がファウスト博士の物語に親しんでいるわけではないことは当番も知っている。実は当番も通読したことはないのよゲーテの『ファウスト』

今、そのすべてを知らなくてもいい。当番だって断片的にしか知らない。「なぜファウスト?」「ファウストって誰?」「牡牛座16度のテーマとファウストはどう繋がるの?」とそこで立ち止まってもらうための、その名前。その名を知っていればいつか知りたくなったときの鍵となる。

むかしむかし「満足したら死ぬんじゃあ!」と「コレジャナイんじゃあ!」と言い続けながら人生を駆け抜けた男がいました。ファウストファウスト。とりあえずこれくらいの知識でも大丈夫。そのうちもっと知りたくなったら、検索してね。映画もあるよ。オペラもあるよ。

生まれたときのホロスコープで「♉16ファウスト」はどのハウスにある?今夜からの太陽はそこを照らす。穴埋め #アストロ短歌 で確認しよう

「○○○○を(五音・ハウス) 腑に落ちるまで(牡牛座) 見つめたい(太陽) コレではないと洩らすファウスト(♉16)」

#サビアンシンボル物語

【♉️16ファウスト をより深く理解するための比較対象シンボルリスト】
♊16演説する女性(となりのサイン)
♋16答え合わせ(60度)
♌16台風一過(90度)
♍16大猿と対面(120度)
♏16破顔一笑(180度)
♑16汗を流そう(120度)
♒16働く実業家(90度)
♓16漲ってきた(60度)

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