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「おとな」であること

2023年1月14日のツイートまとめ。例によってフォロイーさんたちのポストに触発されて語りはじめる当番である。

元井さんTLの「おとなになる/おとなである/与える側になる」話と、みずまち先生や玉紀先生の「天体の年齢域」話が当番のホームTLで撚りあわさって「『与える側になる』『おとなになる』って木星土星の課題だな」と思う昼下がりである。

「与える」は木星、「ロールモデルになる」は土星かな。

「おとなになる」にも段階があって、「こども(与えられ守られる側)を脱却して、自分を自分で食わせる『自活』段階に入る」は早い人なら10代後半から20代前半(※金星の年齢域だね)で始まる。そこまで早くなくても20代半ば~30代前半(※太陽の年齢域)の間には多くの人がその段階に至る。

太陽の年齢域(25~35歳)の真ん中あたりで土星回帰(出生時に土星がいた位置にリアタイ運行中の土星が戻ってくる)が起きて、このあたりがだいたい誰にとってもアストロ成人式だなあと当番は思っていたりするわけだが、29歳とか30歳ではまだまだ「与える側」に至る人は少ないと思う。

土星回帰の後が太陽期後半戦(アラサー~35歳)、その後に火星年齢域(36~45歳)がやってくる。火星年齢域は、火星という天体の性質から言っても「与える側」よりは「奪う側」だよね。より大きなものへ食らいついて齧り取って力をつけていく時期。悪く出ると「食い合い」になるんだけれど。

「与える側」に安定してなれるのは、木星年齢域(46~55歳)あたりだろうと思う。「与える側」になるのは「自分がたくさん持っている自認」と「でも、自分はもうそれほどこれを必要としてはいないなという自認」が揃ってからの話。「まだ足りない!(火星)」が「もういいわ(木星)」になってから。

わかりやすい「与える側としてのおとな像」だと「『私はいいから、お前が食べなさい』と食べ物を分けてくれるおとな」があると思うんだが。当番、木星期の半ばあたりまで来て食べ物を幼児や若者に譲る年配者の感覚がわかってきたんですよね。あのね、カロリーの妖精当番でさえ食が細くなるんすよ。

基礎代謝が落ち、食欲が落ち、消化能力も落ちてきて。当番さんこんな日が来るとは思ってなかったんだけど、最近、満腹が早い。定食屋さんの定食を完食するとお腹が重い。大好きな麺類を大盛りにすると後でお腹を壊して苦しむ。自ら小盛にしている。しかし代謝が落ちているから痩せない。これが老化よ。

金星期や太陽期の頃に木星期のおねえさまがたと会食をして、おねえさまがたから「私これもう入らないと思うから当番さん(仮名)おあがりなさい」と揚げ物やデザートを回してもらっていたけれど。あの頃の木星期おねえさまがたの感覚をいま身体で理解した。わかる、入らない。もう無理はできない。

話は逸れるけれど「食い尽くし系パートナー問題」ってあるじゃない?大のおとななのにパートナーやこどもの分までひとりで抱えこんで食べてしまって、抗議されても行動を改めず、「食べ物を分けあう」ということが身につかないやつ。あれ、西洋占星術的には火星が大いに関わっていると思う。奪う火星が。

すっかり食べ物の話になってしまったわ。食べ物以外についても「ガツガツしている(自分こそが何かを得たい。奪ってでも得たい)」が火星の年齢域(36~45歳)の特徴で、「自分はもういいから、欲しい人がお取りなさい」ができるのはその「ガツガツ」が減衰してくる木星期(46~55歳)だと思うのね。

もちろん、年齢域とは無関係に「自分がガツガツ(火星)しなくて済む分野」「自分がありあまるほど恵まれている(木星)分野」のものを若いうちから他人へ与えているような人もいるとは思うんだけど。若いうちからそれができる人は本当に才能あるひと握りの人たちだからね。

そして若いうちから人一倍恵まれた何か(ビッグな木星要素)を持っていて、それを分け与えることを早くからしている場合であっても、それをいいことにそのまだ若い人に「我も我も」とガツガツ群がって恵みを貪るのは本当はよくないことなんだよ……ということがわかるのも、ある程度歳が行ってからよね。

「人は歳をとったからおとなになるんじゃない」については半分イエスで半分ノー、と当番は思っている。「こども」や「若者」の目から見た「おとな像」は「木星のように寛容で目下に機会をくれて、土星のように老練で目下の失態に始末をつけてくれる」だろうけれど、それはすぐには備わらない。

月・水星・金星期(それぞれ0~7歳、8~15歳、16~24歳)がイメージする「こどもや若者が安定して『与えてもらう』をやっていられる寛容で磐石なおとな」というのは「木星や土星の領域」であって、それは「30歳」や「40歳」ではまだ足りない。そういう意味では「歳をとっただけではおとなになれない」。

だけど「その『歳をとるだけ』では思うような『おとな』にはなれない」と思っていた境地を「『更に歳をとること』が連れてくる」ということもまた、あるんだよと当番はこの歳になって思う。赤ちゃんが一瞬で25歳の勤め人には育たないように、25歳の勤め人だって一瞬で50歳の経験者にはなれないんだよ。

「駆け出しのおとな」が「押しも押されもせぬおとな」になるまでは赤ちゃんが「これでやっと駆け出しのおとなだな」と認められるほど育つまでと同じだけの時間がかかる。ついでに言えば未成年から見て30代40代50代60代が一律に「おとな」に見えていたとしても、10年違えばおとな同士でも発達段階が違う。

発達段階なのか成熟段階なのか老化段階なのかはさておくとして。「歳をとっただけではおとなになれない」は、「やっと『歳をとっただけではおとなになれない』がわかるくらいの解像度になった」ではある。それだけ。死なない限り、先はまだまだ長い。

「『歳をとっただけで中身は変わっていない』と思っていた、その『ただの時の経過』が連れてくる決定的な変化」がやってくるのは、これからだよ。引き潮みたいにひたひたと来るよ。

太陽・火星・木星・土星、総動員して「おとな」だからな。前向きさ・火事場のクソぢから・ゆとり・責任。

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