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同化は求めないが

10年振りが続いている。今度はロシアの卒業生と会えた。やはり、全然変わっていなくてびっくりした。誰一人日本語を話す相手はなく、日本のドラマを見ているだけだという彼女。それだけでよく日本語力をキープしているものだと思う。
 
5年振りの香港の卒業生とも会った。ほぼ毎年嵐のコンサートに参戦するため来日していて何度か会っていたが5年空いた。こちらもキープしている。
日本、日本語とつながっていたいと思う人は強い。
 
一方、日本語を勉強していても、日本に長く住んでいても、日本に興味を持たない人もいる。それも見ないふりをしてはいけない現実である。
8月から勤めている教育機関の留学生とはまだ共通の話題がない状態。テレビがなく日本のニュースも情報もない、アニメやマンガも興味がない、日本食も(それしかないから食べるけど)おいしくない好きじゃない。字幕なしでドラマが見たいなどの希望もなく日本の友達もいないのだから主体的に学ぶ必要もない。
そういう学習者がいることは知っていたが実際教室で相対すると、どうしたものかなぁと思う。こちらから寄っていこうとすると言葉の壁が立ち上がる。ある意味彼等と同等だともいえる。
 
働いている某国人朋友の話でも、十年日本で働いていても母国の食べ物にしか興味がない、日本のすべてに興味がなく言葉の問題ではなく会話ができない人がいるという。
 
ここは日本なのだから君(外国人)が日本に興味を持ち日本語を学び日本に合わせるべきだ、留学生なのだから学業が一番だ、というのがシンプルすぎナイーブすぎる言説だと知っている。乱暴だ、と言ってもいい。日本にいるからといって、だれもが日本に強くなることを望んでいるわけではないし、それが必要だというわけでもない。それも事実であり現実である。
 
日本語教師の役割の一つに、日本の文化や社会、習慣など言語以外のことも教えるということがある。それは重要なことだが、常に外国人に対して同化を求めることになるという危険と隣り合わせであることも自覚していなければならない。
という、古くからある課題に新たな気持ちで取り組む夏である。暑い。
 
写真はロシア土産です。感謝感謝。
 

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