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とある吹奏楽部のフルートパートのお話




忘れられない演奏。
きっと吹奏楽経験者なら、そんな演奏が一度はあることだろう。
コンクールで金賞を勝ち取った渾身の演奏。文化祭で好きな人が聴きに来てくれた演奏。顧問に怒られて悔し涙を流しながら吹いた演奏。卒業の前に最後にみんなで吹いた演奏。

私にとってのそれは、大好きな友と歩んだ日々そのものだった。

強豪校だったわけでもない。華々しい成績があったわけでもない。
多くの人に注目されたわけでもない。
普通の高校の、普通の定期演奏会。
それでもそこには、私の人生の最高の想い出があった…

これは、そんな普通高校の普通の吹奏楽部のお話。

霞ヶ峰高校吹奏楽部

 私がその扉を敲いたのは、柔らかな花芽の香りが心を躍らせる4月の初め。
 折しももぐもぐタイムの最中だった先輩たちは一斉にその手を止め、獲物を見つけたかのようにその顔をギラつかせた。
「入部希望です」
 そう答えるが早いか、私はあっという間に先輩たちに取り囲まれてしまった。ちょっと怖かった。もっと事務的な対応を予想していたので、その期待の高さとハイテンションさに思わず胃の底がきゅっと縮む。部になじめるだろうか。先輩たちは私を受け入れてくれるだろうか。失望されるんじゃないだろうか…。
 そんな杞憂をよそに、先輩たちは未だ実力すら知らない私のことを大歓迎してくれた。

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 霞ヶ峰高校吹奏楽部は私の入学時で60人くらい。精華や城東といった福岡の強豪校と違い、年度によっては大編成で55人集まらないこともあるくらいこぢんまりとした吹部だった。霞ヶ峰高校は進学校だったので勉強との両立が難しく、途中で退部する子も一定数いた。実績としては最高で県大会銀賞くらい。ガチ吹部勢からしたら笑止千万な話かもしれないが、そもそも部員が少ないのでポジションやソロ争いとかもなく家族的な吹部だった。

 私が入部した時点では、フルートは3年の先輩(ななみ先輩と呼ばれていた)と私だけ。七海先輩はすごく優しくて、おっとりはんなりとした振舞いに癒されることしきり。絵に描いたような素敵な先輩と一緒に演奏できるのが楽しみで仕方が無かった。
 春の晴れた野原を歩くかのような高揚感が私の心を高鳴らせた。しかし、心の昂りの要因はそれで終わりではなかった。

数日後。

 春の雨が降りしきる放課後、なんとなく気だるげな音楽室の扉を開いて 一人の女子がフルートの鞄を手にして入ってきた。
「入部希望の○○です!よろしくお願いします!」
室内に響く自信と活力に満ち溢れる声。眩しい程の佇まい。お辞儀をすると、その美しい黒髪のポニーテールが華やかに踊った。
彼女がその歩みを進め、音楽室の前方で先輩たちと話している様子を見るだけで、その魅力は手に取るように解った。
シャキシャキとした性格。ぐいぐい距離を詰めに来る感じ。
きっと彼女には、他者との間の壁なんてものは存在しないのだろう。
人見知りで慎重に距離をはかる当時の私とは正反対。

まるで雲間から陽光が差してきたかのように、音楽室が明るくなった気がした。
この日にずっと雨が降っていたことさえ忘れてしまう程に。

これが、後の私の大親友・舞との邂逅だった。

 舞とはすぐに仲良くなった。入学したてで心細かったのもあったが、担当楽器が同じフルートで、通学ルートも途中まで同じで、放課後の大半の時間を舞と過ごすことになったからだ。そしてそれ以上に彼女の明るくて素直な心根に私も惹きつけられたからだった。それはまるで、真夏の青空のようにキラキラしていて、どこまでも澄んでいるようだった。
 舞は隣のクラスだったが、部活に行く時もなぜかいつも私を待っていてくれた(私の担任はいつも話が長くて、ホームルームが終わるのも学年でだいたい最後の方だった)。

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 舞も私も自分の楽器を持って来ていた。いや、買ってもらっていた。舞のフルートはパウエルで、何故か「奏ちゃん」という名前を付けていた。モデルがソナーレ(「奏でる」の意)だったからかもしれない。彼女はお父さんが市内のアマチュア楽団のフルート奏者だった。
 私が使っていたのはムラマツのEX。子供の頃、塩ビ管にゴム栓で蓋をして、穴をあけて篠笛みたいなのを作り吹いて遊んでいたら、それを見た祖母が感心して「ちゃんとしたものでしっかり吹きなさいよ」と買ってくれたものだった。いきなり何でムラマツ…と思ったものだったが、祖母は祖母なりに音大の知り合いにいろいろ聞いて選んでくれたらしい。合わせて父も家をちょこっとリフォームして、3畳くらいの簡易な防音室をしつらえてくれた。
 
 舞のフルートの音色はまさに彼女の性格そのもののようだった。音量が大きく、響きも豊かで、心を惹きつける魅力があった。特に高音の伸びの美しさは群を抜いていた。アップテンポで明るい曲が好きで、ぐいぐい前に出ちゃう所や走りがちな所、悲哀・静寂の表現がすこし苦手な所もよくその性格が反映されていた。一方私はどちらかというと支えたり合わせたり調和を取るのが好きで、低音を存分に響かせるような静かでゆったりとした曲調を好んだので、まさに自分に足りないところをお互いが持っているといった感じだった。

 3年の七海先輩はそんな私たちの事を妹のように可愛がってくれた。いやむしろ私たちが勝手に姉のようにお慕いしていただけなのかもしれない。コンクールの時に手のひらにマジックで「人」と書くなど、少し不思議な所がある七海先輩は、表現や語彙のチョイスが一風変わっていて、聴く側はその内容を十分理解するのに一定の時間を要した。それでも先輩は感覚的に捉えていることを精一杯言葉にして私たちに伝えようとしてくれたのであって、私はそんな先輩のことがチャーミングで仕方が無かった。
 先輩は中学からの経験者で技量も相当なものだった。私が苦手としていた「高音で艶めかしく音を撥ねたりころがしたりする方法」や「音にコシを入れる方法(七海先輩談)」を、まるで母が嫁入り前の娘にするようにじっくりと伝授してくれた。

吹奏楽コンクール

 福岡には全国的に有名な強豪校が2校ある。
一つが精華女子。もう一つが福工大付属城東。今は無き「3出制度でお休み」を何度も経験しているほどの常連校で、私たち普通高校にとってはまさにグレートウォールだった。私が高校の吹部にいた当時は、精華の先生が藤重先生、城東の先生が屋比久先生から武田先生に変わった頃。藤重先生はC.T.スミスの曲をよく振り、武田先生は樽屋さんの曲を多用していた。そしてその前任の屋比久先生は「吹奏楽の神様」と呼ばれた伝説の指揮者だった。
 そんなゴリマッチョ吹部に私たち「普通科吹部」はせいぜい県大会で擂り潰されるのだが、それでもやはり会場で聴くその生演奏はいつも私の心を奪い去った。ホールの端にいるはずの私に全力でボディブローを入れてくるフルートの響き。脳幹を貫いてくるクラリネット。心から溢れる想いを全力で叫ぶトランペット。稲妻の如く炸裂するシンバル。地鳴りのように轟く低音。なぜかパイプオルガンが鳴っているように聞こえる音の調和。想像を絶する努力が、血のにじむような積み重ねが、あの音を創り上げているのだろう… 
 涙を流さずに聴くことのできた演奏なんて、ただの一度さえもなかった。クヤシイなんて気持ちは微塵もなかった。ただただ、憧れだった。
 それでも、仲間と吹くコンクールはまた特別なもの。
メンバーの層も厚くない。物凄い指導者がいるわけでもない。練習に全てを捧げることが出来る環境でもない。でも、置かれた状況でみんな最大限の努力をしていた。自分たちにできる最高の響きを本番に持ってくることが出来た。それがあの舞台で結実したことが、何よりも嬉しかった。

 そのほかにも1年次の出来事は沢山あるのだが、とりとめもない日常の話になってしまうので、それらについてはまた別の機会に譲りたい。

2年次の吹部とコンクール

 春に七海先輩は卒業し、吹部には新しく1年生が入ってきた。フルートパートには真理子ちゃんという子が加わった。真理子ちゃんも中学から吹いていたらしく、入部してすぐにパートの一角を担えるようになった。ウェーブの掛かった癖ッ毛が可愛らしかったのだが、彼女はそれを気にしていて、いつも髪をきつめにまとめて短くゴムで括っていた。
 新3年生にはフルートの先輩がいなかったため、舞がパートリーダーを担いチームを率いた。フルートは私たち3人だけだったが、それが故に部内一の結束を誇った。パートは主にソロが舞、1stが舞と真理子ちゃん、2ndを私が担当した。この頃の私は、舞の主旋律に合わせて裏を吹くことにこの上ない喜びを感じていた。
 霞ヶ峰高校は進学校だったので、課外授業や課題も多く、時間をかけて演奏の技術を極めようとするには無理があった。そこで限られた時間で最大限に上達できるよう様々な工夫をした。私の場合は、基礎のロングトーンは疎かにできないので時間を決めて集中し、その後自分の苦手な部分を徹底して潰していくようにした。舞は結構感覚的な娘だと思っていたのだが論理的な部分もしっかり持っていて、巧く吹く上での技術的な事柄を解りやすく教えてくれた。その代わり勉強や課題の解らない所は私が舞(と真理子ちゃん)に教えていた。
 4月に新入生が加入し終わると、すぐにコンクールへ向けた練習が始まった。この頃までに舞の癖をほぼ完全に把握した私は、彼女の吹く1stにぴったり調和する2ndを会得しつつあった。彼女の吹くフルートは、音量も響きもその伸びも強豪校に引けを取らないレベルだった。そんな舞の演奏に私も必死に喰らい付いていった。舞を完璧に支えたい。そう思っていた。
 そんな私の心を見透かしたように、顧問の先生は私を諭した。
「香織さんは舞さんに合わせようという意識が強すぎるように思う。普通の奏者になら“もっと相手の音を聴いて”みたいなことを言うんだけど、貴方はむしろ慎重になりすぎていると思う。もっと前に出て欲しい。“メインを支えるサブ”じゃなくて、”共に並び立って“欲しい。それでこそウチのフルート部隊の2トップだ!きっと貴方ならやれると思う」

 はっと目が覚めたかのようだった。同時に舞に申し訳なく思った。自分に合わせるばかりのイエスマン演奏を彼女は欲していたのではなかった。「一緒に吹く」とはどういうことなのか。「対等に吹く」ためには何をしなければならないのか。
この時、私はそれまでの考えを改めた。

 相手の音を聴き過ぎてしまうと、音が消極的になったり少し「もたれた」ような演奏になる。同じ音量で、同じピッチで、同じテンポで対等にハーモニーを作り出すには相手の音を信じなければならない。相手を熟知した上でその演奏への全面的な信頼が不可欠だ。そうでなければ対等な2ndとしての「自分の音」は出せない。
 それから数週間、私は自分の演奏を叩き直すべく必死で練習を繰り返した。部活が終わってからも自宅の防音室で何度も弱点を洗い直した。私の演奏は「ぶら下がって」いた。これまで「舞の旋律」というぬるま湯に浸かって吹いてきた。これからは私が自分の旋律を吹く。そう思うと途端に不安になった。この心の弱さこそが私の一番の問題だった。まず自分の演奏を心から信頼できるようになるまで、私は横に構えた銀の管と向き合い続けた。

 それからしばらくたってから、私は自分の思いを舞に伝えた。
「私ね、これまで舞のフルートに…甘えてたと思う。ずっと、合わせてばっかりだった…。ごめん…。私は、私のフルートで舞に応えるから」

 舞の顔が、春風に揺れる桜のように綻んだ。その眼差しからは慈しみが溢れるようだった。
「待ってた。合わせてくれるだけのじゃなくて、香織のフルートをずっと待ってたよ。だって香織、個人練の時あんないい音出すんだもん。あの音、いつ聴かせてくれるのかなって」
 見透かされていた恥ずかしさと、それ以上に私を信じてくれていた舞の気持ちが嬉しくて、私の頬を温かな雫が伝った。舞は私の背中を優しくさすってから、こう言った。
「合わせよう!」

コンクールは、もうすぐそこまで迫っていた。

全日本吹奏楽コンクール福岡県予選。
 自由曲のフルートは装飾音の担当が多く、それ自体がそこまで目立つような曲ではなかったが、それでも短いソリの部分があって、私と舞でその所を吹くことになっていた。
 ドロドロと重厚に響くフレーズ。呻るように力強く吠えるトランペット。序盤のテンポの速い音の跳躍から中盤の木管とのユニゾン。その後にゆったりと流れだす低音の落ち着き。
 そしていよいよフルートのその部分がやってきた。
 舞の1stが静まり返ったホールの空気に美しい波紋を描くように響いた。2小節後に私も続いて私の2ndを送り出した。その2つの響きが合わさった時、3人目の別の人がすぐ隣で吹いているかのような力強い共鳴が聞こえた。フルートを支える指が震えるような気がした。今まで聞いたことが無かった程のその調和に私ははっとした。

「はじめて舞と本気で響き合えた」

 その感覚はあまりにも衝撃的だった。
 勿論演奏は集中を切らすことなく吹き切った。それでも、脳天が痺れたかのような共鳴の感覚は残り続けた。演奏が終わり、部のみんなが舞台袖に下がった途端、舞が私の背中に抱きついてきた。
「ヤバい!何あれ⁉すごかった!」
「私もびっくりした…あんな響き、初めてで…」
 理解の追いつかない頭を落ち着かせるように、私はゆっくりと言葉を選んだ。脳内を支配し続けるその余韻のなか、もう一度あの衝撃の正体をじっくり理解したいという探求心のようなものが、私の体の中を行き巡っていた。

 その大会の結果は銀賞で、その年のコンクールはそれでおしまいだった。私たちの実力からすると、そのあたりが順当だろう。やはり他の強豪校は厚みも練度も段違いだ。それでも私は、あの演奏で何かが掴めた気がした。コンクールの後、顧問が私と舞に伝えてくれた。「今日のフルート、突き抜けてたな!」と。

新体制と定期演奏会

 コンクールが終わると、3年生は一斉に引退する。そして先輩たちはそれから受験という更なる闘いになだれ込んでゆく。来年は我が身かと思うとやはり胃の壁がじりじりした。もっとも、先輩たちも引退したら全く顔を見せないというわけではなくて、受験勉強に煮詰まるたびに吹部に遊びに来ては、自らが全盛期の情熱を注いだ輝きの残滓に想いを馳せていた。


 3年生引退後の新たな動きが始まった。2年生の中から部長が選出され、新しい霞ヶ峰高校吹奏楽部が編成された。部長はホルンで私たちとも仲の良かった愛華という子が務めることとなった。愛華は見た目こそギャルっぽかったが、誠実で芯のある大人な子だったので男子からすごくモテた。一方の彼女は「部長として部活にきちんと向き合いたい」との理由から交際はすべてお断りをしていた。そんな姿も彼女をより魅力あるものにしていた。
 また彼女はお菓子が大好きで部活には必ずお菓子を持参していて、それが見つかるといつもきまり悪そうに頭をかくなど可愛らしい面も持ち合わせていた。

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 3年生が引退した穴はとても大きかったが、残された者たちはそれでも置かれた状況で技量を磨くしかない。その後も吹部イベントは続くのだから。

 コンクールが終わった後も、私は会場で味わったあの調和を再現したくて、ますます練習を重ねていった。舞も同じ想いだったようで、舞と私は全体練習が終わった後に少し居残りをして、何度も合わせてはお互いの音の調和を磨いていった。

 3月には毎年定期演奏会が行われる。この年選ばれた曲の一つがロッサーノ・ガランテの「Mt.Everest」だった。大冒険に挑むような高揚感を覚える曲調の中に、美しく心に訴えかける中間部が優しく雄大に響く。この曲にはフルートのソリ(ソロは1人で吹くがソリは複数で吹く)が織り込まれていた。特に67~69小節にかけての1stと2ndのデュエットは、フルートの旋律が心を揺さぶる程美しく、私たちにとっての演奏の山場だった。ここが上手くいけば、私たちのパートにとって演奏は成功と言っても過言ではなかった。    コンクールのようにその仕上がりに評価が下されるわけではないのだけれど、それでも最初に曲を聴いて譜面を確認した時から、私の胸中には「自分たちにできる最高の演奏を響かせたい!」との想いが募った。


(楽譜に小節番号が振ってありますので見比べてみてください♬)


 早速フルートパートで調整を行い、誰がどこを吹くかを決めた。舞が1st、私が2nd、ピッコロを真理子ちゃんが担当した。

 あのコンクールの演奏以来、私は遠慮や迎合を捨て去り、練習に裏付けられた自分の音を主張するようにした。勿論それによって私の演奏の未熟な部分が幾つか露呈するようになったし、突っ走りすぎて恥ずかしい思いをすることもあった。それでもそんな経験を通して、自分の演奏が前に進んでいる実感があった。そしてそれは、相手に依存して恐る恐る吹いていた以前の私が決して経験することのないものだった。

 季節は冬を迎え、そして春へと進もうとしていた。冬の朝の練習はフルート部隊にとって、特に血圧が低く貧血気味の私にとって非常に辛いものだった。吹奏の前に管を十分に温めなければピッチが下がってしまうし、管の内部が盛大に結露して響きも悪くなる。フルートの端から水滴がぼたぼた垂れるのもなんだかよだれを垂らしているみたいで嫌だった(実際は唾液ではなくほぼ純粋なH2Oなのだが、その有様を他人に見られるのはできれば避けたかった)。更に冷え性の私は、冬の朝は指すら意のままに動かないので、カイロを握ったり太ももに手を挟んだりしてその機動の改善を図っていた。
そんな私も午後にはすっかり本調子に戻り、練習通りの音を響かせることが出来るようになっていた。舞との合奏のレベルが上がるにつれ、自分の演奏の細かい粗が耳に触るようになり、その度にそれらを一つずつ潰していった。

 放課後の流れはといえば、大体いつもフルートパートで合わせ、全体で合わせ、その後残って舞と合わせてから一緒に帰った。途中でコンビニに寄って買い食いをしながら、大事な話から他愛もないことまでいろんなことを舞と話した。当時はそのあまりにもありふれた日常を殊更意識もしなかったが、振り返ってみるとそんなひと時は何にも代え難い大好きな時間だった。
 定期演奏会を間近に控えたある日の帰り道、舞はちょっと照れていたのか自分の足先を見ながら呟くように言った。
「なんかこう…練習して、上手くなって、最高の状態で香織と吹けるのが、すごく嬉しい」
 舞の言葉に私も心がくすぐったくなって、でもそんな舞の想いを真正面から受け止めたくて。上昇する体温を冷ますように冬の夜の空気を吸い込んでから、私もこう答えた。
「私も嬉しい…!ずっと一緒に吹いてたい。舞じゃなかったらこんな気持ちにならんかったと思うよ」
 舞はいよいよ照れくさくなったのか、肘で私を小突きながら「なにそれプロポーズやん」と言って笑いだした。そうやって照れる舞があまりにも微笑ましかったものだから、私もつられるようにして笑顔になった。実際はただニヤニヤしていただけなのかもしれない。
 いつもバイバイして別れる曲がり角の所で、手を振りながら舞は言った。
 
「私もずっと香織と一緒に吹きたい!」


 いよいよ定期演奏会が始まった。通常はその年のコンクールの曲や一般に良く知られた人気の曲なども含め何曲かを演奏する。この日も舞の1stは冴え渡っていたし、プログラムが進むにつれ私の感覚も舞のフルートに極限までかみ合いつつあった。
 そして最後の曲である「Mt.Everest」を迎えた。舞との練習を通じて大好きになった曲。顧問が指揮棒を構えた瞬間、自分でも恐ろしい程の静けさが心の中に凪いだ湖面のように広がった。
 指揮棒が振り下ろされると同時にほぼ全パートの音が一斉に放たれる。そこからフルートは8分3連が6小節続き、その後に追い打ちをかけるように16分4連が続く。パートのみんなで3人4脚を全速力で走っているような緊張感。一人でもコケたら一気に曲が台無しになる。
 10小節までの序章が終わり、メインの旋律に突入する。部長の愛華が率いるホルン隊とアルトサックスが一斉に吠え始め、トランペットがその後に続く。つくづくこの曲のホルンとトランペットは最前線で部隊を率いる英雄のように精悍で心が昂る。金管の花形によって存分に力を増したその勇壮な旋律は、やがて穏やかさを帯びて木管に引き継がれる。可愛らしさと華やかさが加わった音の流れは、更に荘厳さをも纏いながらも徐々に静けさの中に消えてゆく。
 一瞬の沈黙の後、フルートとクラリネットの共鳴が流れ出す。この曲の中でも屈指の、息を吞むような美しい旋律。なんとなく脳裏に夕方の風景がよぎる、温かさと懐かしさと少しの切なさを感じさせる52~55小節。物凄く集中しているはずなのに、吹いていてなぜだか、舞と一緒に歩いた夕暮れの帰り道を思い出した。奏でられるメロディーは、舞と過ごした思い出そのもののように思えた。
 掛け合いの部分でフルートから金管に、繊細な胸の内を吐露するように音の流れを送る。トランペットとホルンが、まるでその想いをすべて受けとめてくれるかのように優しくそれに応える。
そして67から69小節のフルートの合奏。

舞のフルートと私のフルートが響き合った。

そこに感じたのは決して衝撃ではなかった。驚きでも、新たな気付きでもなかった。
それはまるでお母さんが赤ちゃんを慈しむような、限りなく優しく美しい響きだった。
 目頭が熱を帯びた。共鳴を通して流れ込んでくる舞の想いが嬉しかった。そしてそれに並び立つ想いを私は同じ共鳴で伝えることが出来た。胸が、温かな想いでいっぱいだった。

 他のパートも加わってその旋律はやがて雄大さを増し、豊かに響き渡った。メインの旋律が戻ってきて、フィナーレへ向けて力強く伸張していった。8分2連から8分4連。最後は序章と同じ3人4脚で走り抜ける。実際のその競技でも、仲間と心が完全にシンクロして「今は絶対に転ばない」と確信する時があるように、全力で速いパッセージを吹いているにも拘らず、パートの仲間も自分も絶対に外さない、という妙な自信が心を支配した。この上ない高揚感の中、曲はあたかも鷲が夕焼けの雲の上を羽ばたくかのように優雅に飛翔し昇華して、天に放たれるようにその終わりを迎えた。

やり切った。全てを尽くした。
自分の体が空っぽになったようだった。

ふわふわと幽体離脱したような感覚のまま、私は呆然と舞台袖に歩いていった。
やがて心の中に、温かくて愛おしくて堪らない何かが、じんわりと広がっていった。
舞台袖に入るや否や、舞は私に抱きついてきて私の胸に顔を埋めた。そして肩を震わせて泣いた。私も想いは同じだった。舞の頭をとんとんと撫でながら、私もこらえ切れず涙を流した。自分の演奏を磨いて、磨いて、磨いて。相手の音を信じて、信じ切って。お互いの最良を突き詰め贈り合った先に見えた景色。何物にも代え難い調和。この感動を最高の親友と共有できたことが、言葉にならないくらい嬉しかった。
「先輩たちの演奏、最高すぎました…」真理子ちゃんもそう言いながら泣いていた。

人生のうち何度こんな体験をするのだろう。
人生のうち何度こんな想いに至るのだろう。

私はきっと、自らの命が尽きるまでこの演奏を忘れることはないに違いない。

異変

 4月になった。例年のように新入生が入部してきた。
フルートには聡子ちゃんと美優ちゃんという子が新たに加わった。これでフルート部隊は5人となり、きっと今までより遥かに太い音を響かせることが出来るはずだ。一つ下の後輩の真理子ちゃんはこの1年で飛躍的に上達し、新しい後輩たちを任せてゆくのに何の不安もなかった。5人で合わせてみるとその響きはこれまでにない位太く、他楽器の音に埋もれがちなフルートとしては非常に心強かった。実力も技量も十分。そんなパートのみんなを見て、私はなんだか誇らしい気分になった。今年のコンクールは行けるところまで行きたい。最後のコンクールを前に、そんな思いがふつふつと心に湧き上がった。

そんなある日の事だった。
その日、舞は具合が悪そうで、その演奏にもいつものパワフルさが無かった。
風邪でも引いたのかな。或いは毎月のアレかな。
私は、その時はまだ彼女の異変をそこまで気にも留めていなかった。

舞はそれから、何度か病院受診の為に部活をお休みした。
「舞に限って…」という思いはあったものの、心の奥がざわざわした。

それから数日程経ったある日。
職員室にクラスの課題を纏めて提出しに行った時のこと。
舞と顧問が端っこの方で話し込んでいた。
舞は困ったように眉尻を下げ、そして顧問はなぜか涙を流していた。

その日の帰り道。
気を揉んで逡巡する私に気を遣ったのだろう。
私が尋ねるより先に、舞は自らそのことを話しだした。

「私ね、急性骨髄性白血病なんだって」

それを聞いた私の心を衝撃が貫いた。
まるで、猛スピードで突入する10tダンプに撥ねられたようだった。
舞に言われたことを把握できずに、私は立ち尽くした。

舞は言葉を続けた。
「私、あと1年も生きられないかもしれない」

思わず私は舞の顔を見た。
職員室で見たのと同じ、困ったように眉尻を下げた、あの顔だった。

立っているのがやっとだった。
言葉の意味を呑み込むにつれ、茫然とした心をよそに次から次に涙が溢れ出した。

「なんで?」

そんな言葉が次から次に浮かんで、口から溢れそうになった。
でも、一番そう思っているのは他ならぬ舞自身だろう。その考えが、脳内に浮かぶそれらの疑問の言葉すべてを涙に変えて流していった。

私はもはや立っていることもできず、舞に縋り付いて声を上げて泣いた。

舞は私の頭を抱きしめて「ごめんね」って言いながら泣いた。

「なんで舞が謝るの?」そう言いたかったけれど、もう私はそんな言葉さえも発することはできなかった。

信じられなかった。信じたくなかった。
嘘だと言ってほしかった。
そんなのいやだ。いやだ。いやだ!
駄々っ子のような単純な拒否の感情が次々に心に沸き起こった。
受け入れるなんて到底無理だった。
これからの将来も、これまでの過去も、すべてのものが無くなってしまう気がした。

それから間もなくして、舞は入院した。

クラスのホームルームが終わっても、待っててくれる舞はそこにはいなかった。

吹部に行っても、隣であの音を響かせる舞はそこにはいなかった。

部活終わりの帰り道、一緒に隣を歩いてくれる舞はそこにはいなかった。

人生の灯が消えたようだった。
太陽の昇らぬ日々を過ごしているようだった。

それでも、そんな私の気持ちなんてお構いなしに、毎日は進んでいった。
コンクールも、1日1日と近づいていった。

一方私は、その悲しみから全く這い上がれずにいた。
病に苦しむ舞を想うと、立ち直るなんて不可能のように思えた。
何かをする気力さえ起きず、まるで心そのものを失ったかのように、私はただただ空虚に時を流すことしかできなかった。

顧問は、そんな私のことを心配してくれた。
「香織さん。舞さんのこと、辛くて堪らないよね…。
私も、2人のことをずっと見てきたから、掛ける言葉が見つからない程に辛い…。
あんなにも仲の良い2人だから、貴方の苦しみは察するに余りあると思う。

…それでももし、貴方の心に少し余裕が出来たのなら。
舞さんなら今の貴方に何を望むだろう、ということに想いを馳せてみるのはどうだろう。
無理にとは言わない。貴方のペースで構わない。」


舞は必死に日々を生きていた。病に冒され、日々弱っていく体で、残された日々を懸命に生きていた。

舞だったら。どう思うんだろう。
悲しさと辛さと喪失感に打ちひしがれる私を。
何もできずに立ち尽くす私を。

舞なら望まないだろう。
自分の病気を理由に私が停滞してしまうことを。
自らリーダーを務めたフルートパートがその力を少しも発揮できずにコンクールを終えることを。
なにやってんの!って怒るに違いない。
自分の命の心配もないのに後輩をほったらかしてただ泣いているだけの私を。

確かに立ち直るのに時間は要った。
それでも舞の気持ちに想いを馳せるにつれ、ただ悲しみに打ち沈んでいただけの私の心はシャットアウトした。
そして静かに瞳を開くと、心の中に青い炎のような決意が燃え盛るのを感じた。
舞は1日1日を懸命に生きていた。その事実だけで十分だった。
私も自分に与えられた日々を全力で生きる。そう心に誓った。

舞。見てて。私が舞の分まで頑張るから。
いや違う。私が舞をコンクールに連れて行くから!
…それも違う。
舞みたいに、私、全力を尽くすから。

私は自らの私的な感情を捨て去った。

最後のコンクールと”ありがとう”

 フルート部隊で集まって、まず今後の方針を決めた。私がパートリーダー代理としてフルートパートをまとめた。コンクールの曲は私と1年の聡子ちゃんが1stを吹き、2年の真理子ちゃんと1年の美憂ちゃんが2ndを受け持った。真理子ちゃんは私たちの定演の響きを聴いていたので、物凄く努力をして最高の音を贈ってくれた。1年生の後輩たちも、入部して間もないはずなのに、ありったけの力を注ぎ込んでくれた。
 心の底から嬉しかった。でも私情で彼女たちに無理をさせるなんてことはそれ以上に嫌だった。そのことを彼女たちに伝えると、真理子ちゃんはぼろぼろ涙を流しながら絞り出すように言った。
「無理って…違います…。そうじゃないんです…!私も舞先輩のこと大好きなんです!私が!私がそうしたいんです!」

その想いを知った時、私の目からものすごく熱いものがぼたぼたと流れ落ちた。
気がつけば私は顔を覆って嗚咽を漏らしていた。
そんな情けない私を、パートのみんなが抱きしめてくれた。みんな想いは同じだった。
嬉しかった。

舞が今日一日を全力で生きている。
その事実は吹部全体をも動かした。
部のみんなが、全力で、必死で練習した。

 コンクールを前にして、部長の愛華が部の皆に向けてこう話した。
「いよいよコンクールです。みんな今まで、すごく頑張ってきたのを私は知っています。このコンクール、本当なら舞が一緒に吹くはずでした。それでも、舞は…」
そこまで言って彼女は必死で涙を抑えた。
「今でも…今でも、必死に病気と闘っています!そんな舞にがっかりされたくない…!
私たちも負けないくらい必死にたたかいます!
当然です!
だって、私たちは、同じ霞ヶ峰高校吹奏楽部の仲間なんだから!」
愛華は涙でぐちゃぐちゃになりながらも、その凛とした声で高らかにそう宣言した。

「はい!」
部員全員の燃えるような決意が、音楽室に響き渡った。

全日本吹奏楽コンクール地区予選。
ステージで本番を迎えた私の心の内は、異様なほど静かだった。ただ一つ、その中に青い炎がめらめらと燃えているようだった。演奏を前に、初めて全く緊張しなかった。うまくやろうとか、失敗したらどうだとか、そんなことはどうでもよかった。賞がどうだとか、代表がどうだとか、そんなこともどうでもよかった。
ただ全力で吹く。それだけだった。
フルートを吹いている間だけは、なぜだか舞が喜んでくれているような気がした。
そしてその音を聴くすべての人に、この吹部には舞がいたことを知って欲しかった。

 演奏が終わり結果を待つ間も、私は心拍数が変わることもなく、ただ舞のことを考えていた。後で真理子ちゃんに話を聴くと、この時の私は感情を失った精密機械みたいで少し怖かったのだという。

率直に書くと、私自身はこの夏のコンクールの詳細をあまり良く覚えていない。
心に余裕があればきっと、他のパートの響きを確認したり、他校の演奏を聴いてそれを心に収めていたに違いない。しかし、それらも私の記憶から抜け落ちてしまっている。恐らく私の心が結構限界に近くて、一杯いっぱいになってしまっていたのだと思う。


地区予選の結果はゴールド金賞で、代表枠を獲得し福岡大会への出場が決まった。

福岡大会本番。
一つ上の大会になっても、ステージ上の席に座る私の心は変わらず静かなままだった。殊更意識することもなく、これまでさんざん練習を積んできたフレーズをいつものように演奏する。真理子ちゃんが、聡子ちゃんが、美優ちゃんが、磨き上げた最良の音で背中を押してくれる。奏でられるその音色は、これまでになく美しいものだった。

 私自身はこの平坦な心のまま演奏を終えるのだろうと思っていた。この日も物凄く集中できていた。ところが、後半に入ったあたりで、吹いているうちにほんの一瞬、私はなぜか定期演奏会の舞のフルートの音を思い出した。いつも私のクラスのホームルームを待っていてくれた舞が、教室の後ろのドアからひょっこり顔をのぞかせたかのようだった。

あの舞のフルートの音が大好きだった。
それは舞そのもののようだった。
明るくて、元気で。活気に満ちていて。
それでいて限りなく優しかった。温かかった。慈しみに満ちていた。愛おしかった。
嬉しかった。隣で一緒に吹けるのが、たまらなく嬉しかった。

ふっ、と春風のようにその記憶がよぎると、凍り付いていた私の心がじわりと動いた気がした。
キンキンに尖っていた私の気迫と、集中しすぎてフラットになりすぎていた私の心が、あたたかな風にやわらかく溶けていった。
 舞と共に過ごした時間の記憶が、そっと私の背中をさすってくれたようだった。

演奏が終わった。
席を立って、舞台袖に歩いていく途中、心の中は平静だったはずなのに、私の目からは涙がぼろぼろ零れ落ちてきた。そしてそれはどうにも止まらなかった。袖に出て控えのエリアのようなところになんとかたどり着き、そこで私は膝から崩れ落ちるように泣いた。これまで必死に抑え続けてきた想いが遂に決壊してしまった。愛華と真理子ちゃんが肩を抱いてくれた。真理子ちゃんは肩を震わせて泣いていた。愛華は、私の肩に顔をうずめて嗚咽を漏らしていた。気がつけば他の仲間もみんな少なからず泣いていた。

その演奏は金賞だった。代表からは漏れてしまったけれど。
霞ヶ峰高校吹奏楽部が始まって以来、最も良い結果だったという。

私たちのコンクールは終わった。
そして私の吹部生活はその終わりを迎えた。

舞と会って話がしたかった。
吹部のみんながすごく頑張ってくれたこと、フルートパートのみんなのこと、私のこと。
さみしくてたまらなかったよ、って伝えたかった。
だけど舞のおかげで頑張れたよ、って 感謝の想いを伝えたかった。


でもその頃の舞は、既に面会が出来るような状態ではなくなっていた。 

舞は自らを蝕むその病気と最期まで懸命に闘い、冬の初めのある日、安らかに永遠の眠りについた。

雲一つない、穏やかな青空が広がる日だった。


翌日お葬式が開かれ、私は舞にお別れをしに行った。
さようなら は言えなかった。
ありがとう って伝えた。
嗚咽が止まらなくなった。

 葬儀場の入口の所で、気持ちが落ち着くのをしばらく待っていると、舞のお母さんが私を見つけて優しく声を掛けて下さった。私は舞へのこれまでの感謝の想いをお伝えした。吹奏楽部で舞がどれだけ力になってくれたのかとか、舞が私にとってどれほどかけがえのない友達だったのかとか。時折言葉に詰まる私の話を、舞のお母さんは辛抱強く、聖母のような慈愛に満ちた表情で耳を傾け、そして私にこう話して下さった。
「舞はね、学校から帰るといつも香織さんの話ばっかりしてたの。一緒に部活出来るのがすごく嬉しかったみたいで。他にもね、放課後にどこそこでお菓子食べたとか、一緒に遊んだこととかいっつも話してた。フルートも勉強もいっぱい教えてもらった、って言ってた。そんなあの子の背中を見ながら、いい友達に逢えたのね、っていつも思ってたの。入院してからもね、舞ってば…あ、そうそう」

舞のお母さんはそう言って、紙袋からファイルを取り出した。

隣でいつも見ていた、あの定期演奏会の舞の楽譜ファイルだった。

「入院してからもね、わざわざ消毒してその楽譜毎日見てたのよ…舞は。宝物なんだって。いつも肌身離さず持ってたの。この楽譜があるから頑張れるんだって」

「そしてね、舞が、この楽譜を香織さんに渡して欲しいって」

ハッとした。そして、遺言を受け取るような厳粛な想いに満たされた。
震える手でそれを受け取り、私は思わずそれを抱きしめた。
ありがとうございます。かすれる声で私はお母様にお礼をお伝えした。


家に帰ってから私は自分の部屋で、頂いた舞の楽譜をひらいた。
定期演奏会の最後の曲「Mt.Everest」の楽譜だった。
音符を追っていくと、途端に心が懐かしさで満たされた。
舞のフルートが聞こえるようだった。
「走るな注意!」「めっっっちゃ優しく!」「やわらか~く」
いろんな書き込みが、勢いのある整った筆跡で記してあった。
演奏に臨む舞の想いに逢えたようで、嬉しかった。
記憶の中に流れるあのフルートの音色が、愛おしくてたまらなかった。


何気なく最後のページを開くと、舞の字で、透明なビニールポケットの上からマーカーでメッセージが書いてあった。書き添えられた日付は、舞が旅立つ10日ほど前だった。


「香織 3年間ありがとう 一緒に吹けて 最高に幸せだったよ!」


季節はそれから幾度も廻った。
それでも、最良の友を失った悲しみは、時が過ぎてもおいそれと癒えるものではなかった。
まるで私の半分が無くなってしまったかのような痛みが、絶えず私の心を刺し続けた。

会いたくてたまらない時。
寂しくて仕方がない時。
辛くてどうしようもない時。

私は決まって舞の楽譜を手に取った。


今や私の宝物となった舞の楽譜を開くと、途端に舞のフルートの音が脳裏によみがえる。

舞が声を掛けてくれる気がする。
「一緒に吹こ?」
舞と帰った夕暮れの通学路を思い出す。
「帰り何食べる?」
いつもの曲がり角で、手を振る舞の姿が目に浮かぶ。
「またあした!ばいばい!」
さみしくて堪らない私に、あの頃の舞が、懸命に生きた彼女の姿が、いつも本物の力をくれる。
あの旋律の中に、舞の記憶が生き続けている。
虹のように儚く、それでいて何よりも美しいあの思い出が。


忘れられない演奏。
きっと吹奏楽経験者なら、そんな演奏が一度はあることだろう。

私にとってのそれは、舞と歩んだ日々そのものだった。




おしまい

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