書くことを仕事にするには

我が社は小説の編集やWEBや雑誌の記事の執筆をしているため
いろんな原稿が持ち込まれる。

ライター見習いの人、作家の商業デビュー作など新人の原稿を預かって赤字を入れて戻すという仕事も多く、そこで気づいたことがある。

それは、編集や校正者の赤字に素直に向き合う人は、その後、プロとしてきちんとやっていける可能性が高いということ。

よく、
「私は雰囲気のある文章が書きたいんです」
「小説投稿サイトで書いているときは、こういう表現が人気でした」
などと、赤字に向き合えない人がいるが、そういう人は、それなりの結果しか出せない。

私がこの業界に足を踏み入れたばかりの頃、こんなコトがあった。

小さな編プロにいた私は、新米のため原稿整理やデータ入力などの雑務をしていた。ところがある日先輩から、情報誌の映画紹介コーナーを担当していいと言われた。書くのは250文字程度の映画のあらすじ4本分。全部で1000文字、しかもパンフレットなどを見て、あらすじをリライトするだけの仕事だから簡単だと思った。

4本分のあらすじを、さっと書いて先輩に提出。
小さい頃から作文コンクールで賞をとったり、大人に「文章がうまい」と言われたりしてきた私は、当然OKをもらえると思っていた。

しかし1時間後、原稿は真っ赤になってもどってきた。
入っている赤字を読んだものの、ショックすぎてその日はどうしたか覚えていない。

その後、数回に亘って、同じようなことが繰り返されたが、ある時、原稿に赤字を入れてくれていた先輩から、

「悪いけど、もう書かなくていい。なぜ、毎回同じようなミスをするの? なぜ赤字が入るかちゃんと理解してる? 赤字を入れるより自分で書いた方が早いので、もう書かなくていいです」

そう言って、担当を外された。

それから一週間。
仕事の合間に過去に入れてもらった赤字を読み返した。
■4本の紹介記事があったら「感動作」という単語は使ったとしても1回だけ。
■「泣ける」「感動の」などの言葉は、どう泣けるのか、どう感動するかを書く(言葉に頼らない)。
■同じ文末が重ならないようにする。
■パンフレットに分からない単語があったら、わからないままその単語を使わない(調べろ)。

今振り返れば、当たり前のことばかり指摘されていたのに、当時の私は初めての大量赤字を前に、つまらないプライドがズタズタになって、その赤字の意味にも、重要性にも、きちんと向き合おうとしなかった。
そのことに気づいた私は先輩に
「もう一度だけ書かせてください、チャンスをください」とお願いした。
「いつ、言ってくるかと思ったよ」
そう言って先輩から、もう1度書かせてもらえるチャンスをもらったものの、急に文章がうまくなるはずもなく、相変わらず赤字は入った。けれど、同じような失敗は減った。あの時、入れてもらった赤字は今も文章を書く度に思い出し、助けられている、大事な宝物だ。

「うまい」と褒められる素人の文章と、うまくて当たり前のプロの文章は全く違う。投稿サイトやSNSに書く文章は、無料で読めるので、ヘタでもだいたい褒めてもらえるし、イイネももらえる。

でも、1円でもお金を払ったら読者もクライアントも手加減してくれない。
厳しい目で(時には厳しすぎる目で)文章を読む。
それが仕事というものだ。

文章は基本的に誰でも書ける。だからつい、書けるような気になってしまうケースが多いが、そこが落とし穴。

たとえば私が失敗した映画のコーナー。たった250文字のあらすじだけれど、目的はそれを読んだ人に「この映画を観たい」と思ってもらうこと。読者に正しく映画の情報を伝え、しかもその映画を観たいと思わせる文章を書かなくてはならない。無名の人間が書いたひとりよがりの文章では誰も映画を観たいとは思わない。

仕事である以上、その文章には目的がある。正しい情報を伝える、社会に何かを訴えたい、商品を買って欲しい、そのモノを知って欲しい、読んで楽しんで欲しい……目的はそれぞれ違うけれど、自分が書いて楽しい、自分が書きたいことを書きたいように書く文章とは明らかに違う。

編集や校正の赤字は、製造業にたとえたら検品のようなものだ。
その検品の指摘を無視して、「私はこういうやり方なので」と自分を押し通したり、毎回同じ指摘を受けたりしたら、それはプロではない。

映画のあらすじと、小説は違うだろう、小説は自分の世界観や表現方法があっていいんじゃない?

と考える人も多いが、そうではない。
小説については、また今度詳しく書きたいが、売れる自由な表現とは、好き勝手に書くことではなく、その言葉や表現をあえて選ぶ理由を考慮し、ときには批判をも想定し、計算して作りあげたものだ。要は、プロとしてお金をもらって文章を書くということは、覚悟が必要だということ。

誰にも間違いや、おかしい点を指摘されたくない、批判を受ける覚悟もない、自分流の文章を書きたい、というのだったら、プロにはならず、SNSなどで自由に発信し続けた方がいい。

文章が上手いと思っていた人ほど、間違いや矛盾、おかしい表現を指摘されると落ち込む。でも、そうした指摘を受け入れる覚悟がなければ、プロにはなれない。覚悟を決めて、赤字と向き合い、その指摘を自分のものにできて、はじめて自分らしい文章が書ける。

これから文章を書いて生きていこうと思う人には、その覚悟なくしてプロにはなれないということを、まず知っておいてほしい。


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