2024年立春におもうこと|そして撃沈!行政書士試験 これからどうする?の巻

2024年立春


新年あけましておめでとうございます。
今日は2月4日 立春です。

統計心理学をもとに、その人の素質や、タイムサイクルと読んでいる10年周期のバイオリズムがわかるi-color(アイカラー)というものを2019年に学んだのだけれど、i-colorでは、立春が新年のスタート。

今年のわたしのタイムサイクル的には、ひとことでまとめると「拡大・転機の好機」。

「好機」ってあるけど、いいことばかりが起こるわけではないでしょうな。
結構大変なことがおきたり、でもそれがあるから次へつながったり、これからの成長のために屈む時期でもあったり。

実際、10年前同じタイムサイクルだったときは、ほんとうに職場環境が大変だった。

でも、だからこそ助けてくれる人たちに心から感謝したし、
あの時期があったからこそ、この先わたしは何を大切にしてどう暮らしたいのか、じぶんにとっての幸せってなんだろう、ということを考え始めて、そこから今につながっている。

それなりに基本楽しく日々を送っていて、それはそれで不幸でもなんでもなかったし、あたりまえの日常がすぎていただけで。

そのままでいることもできたし、だけど「あれ、これでいいんだっけ?」と
ふと思い始めたのが、そのあたりだったかなと思う。

その10年前が大変だった記憶があるから、今年どうなるのだろうと怖い気もするけれど、あのときがあるから今があることを知っているから、きっとたぶん大丈夫(なはず)。

この先のタイムサイクルを考えても、去年からのなんとなくフェーズが変化していく感じからも、この先コンフォートゾーンを出ざるを得ないような、変化や転機のうごきがあるのかもしれないなあとおもった、今朝。

立春の朝。

コンフォートゾーンを出るって、めんどうだし、いやそのままでいいじゃん、いま安定しているよね、恵まれているよね、って思ったりもするのだけど、なんだかざわざわと落ち着かない感じになってきた。

もう次の場所へいく時期なのかしらねえ…という感じ。

なにか次のことが見えているとか、これだという何かがあるとか、そういうことじゃないんです。
むしろわからない不安と、どこに進んでいこうかしらという楽しみとが同居している。

ただなんとなく、大変だろうけど、次の場所へいってみようかしら、というようなきもちです。

動いてみないとわからないことがあるようにおもっています。


行政書士試験 あえなく撃沈


ちなみに、昨年11月にはじめて受けた行政書士試験は、あえなく撃沈。

振返りと、これからどうしよう、再チャレンジするのか⁈
まとまりのない自分用メモ。

法令科目で基準点に1問及ばず(だいぶ低次元の争い)、記述の採点をしてもらえず、合計が何点だったのかはもはや闇の中。

自己採点では法令科目はぎりぎり基準点だと思ったのに、マークミスとかなにかあったのだろうねえ。

振り返りが大事だというので、試験が終わってから反省点をあげてみた。

当日のことで言えば、もっていった時計が止まったり遅れたりして(ねじ巻き式 祖父の形見)、時間がよくわからず焦るきもちもあったり、勉強中のことでいえば、いろんな情報に振り回されたじぶんがいたり、ひとつの教材を信じきれずに、あっちに手を出したり、こっちに手を出したり。

なにか「これだ」と決まると、淡々と着実に進んでいけるのだけれど、それが決められないままに進んでしまった。ずっと迷いながら学んでいた。

なんども過去問を繰り返さなきゃ!スピード大事!と、とにかく問題を解いたけど、ちゃんと理解できていないままだったり。

そこからわかったのは、

  • とにかく基礎をしっかりと正確に覚えること(思い出せるようにすること)。

  • 手を広げないこと(そう言われているのに、気づくと広く浅くになっている)

  • 勉強は時間ではなく、タスクで管理すること (何時間やるではなく、〇〇ページ・〇〇問やる、のタスク・ノルマベースでやる)

そして、

  • 楽しんでやること!←これわたしにとっては非常に大事な要素

  • 法律の学習はおもしろいな、とおもった気持ちを大事にすること

  • 休みの時間をとること

もちろん勉強ばかりしていたわけではなく、応援しているサッカーチームの試合も行ってたし、旅もしてはいたけれど、勉強しない日をなるべくつくらないようにしていた(さぼり癖がつきそうだったから)。

でも「今日はなにしたっていいよ!」という日がわたしには時々必要なのだ。
そのうえで「やっぱり勉強ちょっとしとこっかな!」というのはアリ。

きもちが自由でいられる時間を、ちゃんとじぶんに用意してあげることが必要なんだなとわかった。

よく勉強のモチベーションを維持するのに「ご褒美」を用意する、というのを目にするけれど、「自由な時間」をじぶんにあげたらいいんだなと思った。

そして去年勉強していてわたしがとっても辛かったことは、いろんなことへの好奇心・興味・これやりたい!やってみたい!という気持ちを封印したこと。

そしてこういうことは後からやろうと思っても、もうそのときと同じ温度感や勢いではなくなってしまっている、鮮度が落ちてしまっている、それがとても残念だということ。

実際に始めなくたってよくて、それについて調べたり、少し足をつっこんでみるだけでもいい。

わたしにとっては、湧きおこったこのわくわくした気持ちをあとにとっておこう、というのはものすごくもったいなくて残念な気持ちになることだった。

だからといって、なにか達成したい目標があるときにあっちもこっちも手をだすわけにもいかない。でもぜんぶ我慢しなくていいって思った。

だって、いまこの時って、ほんと「いま」しかない。

「二兎を追う者は一兎をも得ず」ということわざがあるけれど、二兎を追ったっていいじゃないか。なんなら三兎でも四兎でも。やりたいことやろう。

そんな気持ち。


とはいえ、今年再びチャレンジするかどうか、実はまだ決めかねている。

覚悟がきまらない。

ほんとうに行政書士という仕事をしたいとわかっていれば、進むべき道は明らかなのだけれど、そこまででもなく。

できたら面白そうだな!そして法律の勉強、だんだんわかってきたのに中途半端でやめてしまうのはもったいないな、というくらいのきもち。
そして、やり遂げたい欲があるタイプだから、未練があるのだとおもう。

もし再度受けるならどのテキストと問題集でやろうかな、勉強方法がまちがっていたからスケジュール管理も含めてどんな方法がいいのかな、と調べたり考えたり。

やるかどうかも決められずにいるのに、そんなことをしている。
いや、やるかどうかを決めるために、しているのだろうな。

去年のワタシは、良くも悪くもあまりよく知らずに、いや、知らなかったからこそ「おもしろそう!」という思いで安易にはじめたのだなあ(呑気でよかったな)。

でもだからこそ、知らなかった法律のことを知ることができたし、やってみてわるかったことはひとつもない(反省点や学びはある)。

安易に始めたわりには、最後まで止めずに続けたもんだ。
止めずに続けることがいいこととは思わないけれど、続けたからわかることもある。

つまり、どっちだってよい!


はい、まとまりがなくなってきたので、このへんで。
うだうだとまとまらないことを考えている、2024年立春。

みなさまにとって、それぞれよき一年となりますように。



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