中学を卒業し、私は高校へ進学した。 女子にはあまり人気のない高校で(制服がダサかった) 同じ中学から女子は3人しか進学しなかった。 通学に一時間以上かかったが、それでも女子の少ない学校へ行きたかった。 私はIQこそ高かったものの、勉強の仕方というものを知らなかった。 例のバスケ部の顧問には、「お前はギリギリ受かる勉強しかしていない。もっとやれ。」と意味のわからないことを言われたが、更々言うことを聞く気はなかった。 高校はものすごく楽しかった。7クラスあったが、それだけ人数が
いじめたらいじめ返される。 小学校卒業まで、いじめられっ子といじめっ子は、交互に入れ替わっていった。 中学に入り、3つの小学校から生徒が集まった。 同じ小学校に友達がいなかった私は、違う小学校から来た2人と仲良くなった。 背も高く、可愛くて勉強もできて華やかさもある。そんな2人だった。 ある日、小学校の頃のツートップに話しかけられる。 「いじめてごめんね?仲良くしようよ」 嫌な予感がした。この2人が素直に謝るなんてことは絶対にない。仲良くしてた子たちも「みんなで遊ぼう!」と
小学4年生になったころ、祖父と父の事業が傾き始めた。 母は内職をし、食事も質素になり小説も漫画も買ってもらえなくなった。 私は学校の廃品回収のとき、先生に許可を得て何冊も小説を持って帰ったりした。 学校ではその鬱憤を晴らすかのように、クラスメイトに嫌がらせをしていた。 秋に運動会があり、私たちの学校は4年生から6年生までスクールバンドで演奏を披露することになっていた。 楽器の割り振りが先生から発表される。この発表がとんでもない一大イベントなのだ。 そのバンドは各学年から1名
小学生のとき、私はとても大人しい子で でも少し小賢しくて、どういう風に振る舞えば大人が喜ぶのか知っている子だった。 小学校に上がる前、実家が区画整理で立ち退きになり、転がり込んだお金で祖父と父が自営業を始めた。 最初の頃は上手くいっていて、ちょっとした成金になり甘やかされていた私は学校まで毎日父に送り迎えをしてもらっていた。 そのせいもあり、3年生まではいじめられっ子だった。 もちろん親に相談もできず、友達は幼なじみだけ。 周りの大人たちが私の顔をキレイだの整っているだの、