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第3回ー初めて文章化するNYCで暮らして通学した6年間ー10代の少女が感じたこと「学校初日」

入学した女子高には制服があった。茶色のブレザー、白のブラウスにグレイのスカート。月曜日から木曜日は制服で、最終日の金曜日はドレスアップデイとして私服がOKだった。
 
初日、一人で通学バスを乗り換えて学校の建物に入った。年配の女性が私を見ると “what is your name?” と聞いてきた。これは何とか理解できた。私はドキドキしながら“My name is Kaori”と答えた。私が生まれて初めてネイティブと交わした英語だった。
 
渡米前の中学校での英語の成績は100点満点中良くても70点。英語を好きになるかどうかは、最初の教師によって決まる、とどこかで聞いたことがあるが、皆さんもそうではありませんでしたか?
 
私の英語の教師は、いかに自分が「R」をきちんと発音できるかを強調するために巻き舌で「BIRD」と繰り返していた。確かに、日本人にとっては「R」と「L」の区別がつかず、同じに聞こえる。
 
インドネシア人は別だ。私の息子が「日本で見つけたおかしな英語の看板」で「Elevator」を「Erevator」とした表示を私に見せて、「どうしてこんな明らかな間違いをするんだろうね!とびっくりしていたが、それは彼がインドネシア語の環境で育っているから。
 
私は、何を隠そう、イーロン・マスクが「ERON」 か 「ELON」なのか、分からなかったもの。(ただしインドネシア人はこの2文字の発音を取り違えてもちゃんと理解してくれるので助かります)
 
さて、そんなレベルの英語しかできず、おまけに日本では友達もわずかで大人しかった私にとって、現地校での授業がいかに大変だったかは容易に想像できるだろう。
 
初日、指定された教室で、空いている席に座って待っていた。当時は丁度同じ日に入学した東京出身の女子がいた。周りの生徒 ― 白人が半分、後の半分は黒人とヒスパニック系、アジア系は私たち二人だけだっと思う ― は私たちのことは全く目に入っていない様子だった。
 
担任の教師が入ってきた。小柄なイタリヤ系男性。「起立」「礼」「着席」はなかった。日本の学校ではまだしているのだろうか。彼は「出席を取ります」と名前を呼んだ。呼ばれた生徒は「Here」と答えていた。席の位置は決まっていなかった。日本とは反対で、授業ごとに教室を移るのは生徒。生徒数は20人以下と少なかったので、椅子を円のように並べるクラスもあった。
 

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