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初めて文章化するNYCで暮らして学校に通った6年間ー10代の少女が感じたこと・連載第1回

私は13歳から19歳までをニューヨーク市で過ごした。今や海外長期滞在や移住は当たり前の時代。現在、私が20年以上住んでいるインドネシアのバリ島でもリタイヤ生活を送ったり、商売を営んだり、あるいは毎日サーフィン三昧の日を過ごしている日本人はたくさんいる。
 
でも50年前、日本人が家族で海外に住むのは、まだまだ珍しかった。50年前と聞いて、「なんだ俺の生まれる前の話じゃないか」と思った?まあ、そういわずに、ちょっとの間、付き合って欲しい。

日本はこの半世紀、大きな変化をとげた。今や日本のパスポートは世界最強。「日本ブランド」はまだまだ健全で、バリ島でロシア、イランなどからの旅行客に自分が日本人であることを告げると、「ああ、日本人」と態度が変わるし、インドネシア人に至っては尊敬の眼差しを向ける人も多い。日本の映画、音楽市場はアメリカに次いで世界で2番目。購買力と海賊版を許さないという信用があるからだ。
 
50年前の私の経験が何かの参考になって「ああ、そういうことか」と思ってもらえればうれしいです。実はあの6年間は、辛いことの方が多く、私は帰国を楽しみにしていた。でも戻ったら、今度は自分の意志で日本を出た。
 
「NY支店への赴任が決まった。家族全員で引っ越しだ」 ある晩、商社の貿易部にいた父親から告げられた。それまで父は何度もアメリカに出張に行っていた。そのたびに母と羽田空港まで見送りに行った。父が向かう絨毯の敷かれた通路の向こう側には何があるんだろう、とその背中を見ながら思った。今度は私もそこに行くと聞いて胸が高まった。(続く)
 
 
 
 

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