エアースタジオ事件を考える

本投稿は、法務系Advent Clendar2020(#legalAC)のエントリーです。
関原秀行(@Hide_Sekihara)さんより、バトンをいただきました。

今年も盛況ですね、legalAC。
みなさん、自分のご専門や、日頃取り組まれていることを体系的に書いていらっしゃって、すごいです。いつも勉強になります。

それにひきかえ私は、単に好きなものを法務に引き付けて書いてるだけで、完全に「じゃないほう枠」になっている感があります。
でも今年は、ハンバーグ的な投稿も(いまのところ)ないし、師走の荒波を乗り切るための箸休め的投稿になればいいなと思って、今年もエントリーしました。

全演劇業界を震撼させた判決

2020年9月3日、劇団員の労働者性について、演劇業界を震撼させる判決がありました。

「劇団員も労働者」 劇団の運営会社に「未払い賃金」の支払い命じる…東京高裁
https://news.yahoo.co.jp/articles/901322b817670a26c01924df88a87368046aaba7

昨年のエントリーでも書きましたが、私は映画・ドラマ・そして舞台演劇が大好きです。2020年はコロナのせいで多くの公演が中止になり(ラッパ屋、イキウメ、ハイバイ、ケラさんの「桜の園」etc・・)ほんとうにかなしい思いをしました。

そして、学生時代は少しだけ、小さな劇団に所属してお芝居をやっていました。
そのころの私のお芝居への取り組み姿勢は、サークルのノリの域をでなかったので、本件の劇団員とはずいぶん状況が異なります。何かを知った風にコメントすることはできないと思います。
ただ、今も身近に、お芝居や劇団運営に関わる人々が多くおり、本件についてはやはり思うところがあります。
原告(劇団員)の主張部分を読んでいて、「あるある~~!わかるーー!」となったのも事実です。

法務の世界の片隅から、演劇の世界の片隅から、書き連ねたいと思います。

概要

●併設するカフェでの業務には、労働者性が認められる(争いなし。)。
裏方業務(大道具・小道具・音響・照明など)には、労働者性が認められる。
役者としての活動にも、労働者性が認められる。

第一審の地裁判決では、裏方業務については労働者性は認められるものの、舞台への出演を前提をした稽古及び出演については労働者性は認められないというものでした。
ところが高裁では、この「役者としての活動」についても労働者性を認めました【ここが最大の注目ポイント!!】

<役者としての活動にも労働者性を認めた理由>
確かに、公演への出演は断ることはできた
●でも、そもそも、劇団員は役者を希望して劇団員になっているし、劇団員が出演できる枠も1公演あたりの出演者20~30人中4人ぐらいしかないし(客演が優先)、出演を断ることは考えがたい
●断ったとしても、その理由は、劇団の他の業務に従事するためであって、どっちにしろ指示に従わなくてはいけない。
降板する場合は代役を確保しなければいけないという暗黙のルールがあったと窺われる(そういうルールが、後に就業規則化されているため。)。

・・・以上の理由から、公演への出演や稽古も、運営会社の指揮命令下にあったと判断。

誤解されている方をまれに見かけるので補足しておくと、今後はおよそ劇団で役者としての活動や裏方業務を行えば「労働者」になり、劇団員は劇団側から労働者として賃金を得ることができる、ということではありません

ましてや、今劇団を主宰されている方が、明日から一律にすべての劇団員に対して賃金相当額の支払いをし始めなければならない、というわけでもありません

本件の劇団員が携わった個々の業務(公演への出演や稽古も含めて)について、諾否の自由がない、時間的・場所的拘束がある、劇団からの指揮命令がある、労務を提供したことに対する対価が支払われていた等の事情を詳細に検討した結果、実態として労働者であると認められた部分について、本件の劇団員は労働者としての賃金を得ることができた、というだけなのです(「だけ」、という表現は少し不適切かもしれませんが・・・)。

労働者性については、企業法務をやられている方にとっては伝統的な論点ではありますが※1、報道の見出しだけを見てびっくりして勘違いされた方が一部いらっしゃったようなので、念のため書き添えておきます。

※1
よくありますよね。退職した社員に対して、同じ業務を「業務委託」で引き続き願いしたいとか、同じ仕事内容であるはずなのに携わっている人に「契約社員」と「派遣社員」と「業務委託の人」がいる、とか。

※なお、このあたりについては師子角允彬弁護士のブログに、コンパクトに書かれていました。
※海老澤美幸弁護士の一連のtweetも、わかりやすかったです。

※でも、たいていの劇団は平田オリザさんがおっしゃるように、主催者が「天皇」だと思うので、諾否の自由もなく、指揮命令も時間的・場所的拘束もあるかもな・・とは思わなくもないです。。

報道

本件に関する報道は、おおむね劇団員側に好意的です。

弁護士ドットコム
「・・・労働者に対する保護は手厚くなっているが、労働基準法の労働者でないと、その保護をまったく受けられない。その点を悪用する使用者はあとをたっていない。脱法的な労働者に対する権利侵害を予防していくためにも、使用者みずからが労働者性がない判断しても、客観的に指揮命令関係がみとめられれば、保護を受けられるということを社会全体で共有してほしい。」(劇団員の代理人のコメント)

毎日新聞夕刊(2020年10月28日)
「たとえ正式な雇用契約を結んでいなくても、専属的に働いている実態がある場合には、人を使う側に責任が生じうるという警鐘になる」(沼田雅之・法政大学教授のコメント)
趣味のようにみられる活動にも、労働者としての実態があれば適切に賃金が支払われることを示す画期的な判決だ」(劇団員の代理人のコメント)

ちょっと意外だったのは、労働新聞の社説が、否定的な見解を述べているところです。労働新聞社説
「~一審の東京地裁が指摘しているとおり、講演の裏方業務やそれに一時的に従事した時間については時間給が発生するとしても、俳優などとして稽古や公演した時間に同様の賃金が発生するという理屈には無理がある。

当たり前のことですが、労働新聞だからといって、労働者に優しい判決にはもろ手を挙げて賛成というわけではないのだと知りました。
ただ、この労働新聞社説の書き方はちょっと説明不足であるように思いあました。
これだけ読むと、「およそ劇団で役者としての活動や裏方業務を行えば「労働者」になり、劇団員は劇団側から労働者として賃金を得ることができるという判決が出た」というような印象を与えてしまうのではないかなーと感じました。

演劇人からの反応

扉座の横内さんが、めちゃくちゃ怒っていました。

扉座/横内謙介さん
「激しく抗議したい。
演劇に関わる者、誰も幸せにしない判決だ。
40年、小劇団を主宰して来た者として証言する。この判決が世に出回って、厳密に実践される時、この世から劇団は消える。そうなれば役者のみならず、スタッフ、観客、あまたの演劇難民が生まれる。」
https://www.tobiraza.co.jp/blog/entry-1004.html

扉座は横浜の高校演劇発の劇団で、私は同世代ではないものの、舞台も観に行きましたし、高校生相手にやってくださったワークショップにも参加した記憶もあり、私にはとても身近な劇団です。
一世を風靡し、代表作もあり、受賞もあり、有名俳優を客演に招くこともできるこの劇団の主催者の、このコメント。
お気持ち、よくわかります。

演出家・舞台監督などをやられている笹浦暢大さんも、こんな投稿をしていました。

演出家・舞台監督/笹浦暢大さん
「やりがい搾取だと言われればそうだけど、実力もないのに夢見ているだけでは絶対に上がれない。月6万円って主催としてはかなり前向きで善意が入っているのだろうと察せられる。それだって大変なんだから。」
https://ameblo.jp/mojahera/entry-12622878896.html

笹浦さんは自身の劇団こそ持っていないけど、舞台監督などの裏方業務をやるにあたっておそらく数多の劇団と接する機会があるであろう中でのコメントです。
この、答えの出ないもやもやした感想が、すべての演劇関係者を代弁しているように思いました。

「合同会社舞台裏」の代表をされている香西姫乃さんは、さらに突っ込んで分析されていました。

合同会社舞台裏代表、演劇デザイナー/香西姫乃さん
「役者に労働の対価を」というのに大声で反対する人はいないだろう。けれど、諸手を挙げて喜べる劇団もないと思う。
末端のチケット代の値上げで済む問題ではない。その前の、演劇という芸を身に着けるまでの過程も今一度見直して、何十年かかってでも体制を作らなければならないのではないか。カジュアルな演劇があることに私は賛成だ。誰もが自由に公演を打てるこの日本は世界でも珍しいらしい。
ただ、「役者に正当な対価を」と簡単にいうのであれば、ちゃんと教育を受けてから言ってほしいとも思う。
https://note.com/himeno0627/n/n35b4b3537e39


このエントリーを書こうと思ったとき、漠然と、「日本以外の国ではどうなっているのだろう」ということを考えました。

どうやって調べてよいのかもわからなかったので、どなたか知見のある方は是非教えていただきたいのですが、そういえば、有名なハリウッドスターの経歴を検索すると、だいたいどこかの大学で演劇を学問として学んでいることが多いことを思い出しました。

一般の企業には、営業、技術研究、商品開発、経理、法務、人事などのさまざまな人材がいて、その人たちは多くの場合、まず大学や専門学校、私的機関等でそのスキルをお金を払って学び、その後企業に就職するなどして、今度はそのスキルを活かして報酬を得るわけです。

もちろん、現在のスキルを大学等の「学びの場」で得ていない人もたくさんいるわけで、それを否定しているわけではまったくないのですが、このルート(まず対価を支払ってスキルを学び、その後得られたスキルを活かして報酬を得る)は、わりと一般的ではないかと思うのです

そう考えたとき、日本の演劇界がほとんどこの「一般的なルート」を前提としていないことが、この「対価問題」のすべての原因なのではないかと、香西さんのブログを読んでいて思いました。
※学びの場でスキルを得て演劇をやっていらっしゃる方がいない、という趣旨ではありません。
※学びの場でスキルを得ていない役者さんがおかしい、という趣旨でもありません。

まとめ

「Aさんっていう個人がいて、ある業務をお願いしたいのだけど、Aさんには業務を受けるか受けないかの諾否の自由がなくて、時間的・場所的拘束もしたくて、こちらからの指揮命令もしたいんです。でも、雇用もしたくないし、派遣社員でもなく、フリーランス?業務委託?とにかくそういう使い方をしたいんです。ちなみに対価は支払わないか、最低賃金を大きく下回る額です。」って事業部から法務部に相談が来たら、「ふざけんな。おととい来やがれ。」ってなりますよね。

労働法的観点から言えば、おそらくこの判決は至極まっとうな内容なのだと思います。

でもその基準を日本の演劇界にあてはめたら、多くの劇団が崩壊する。

まるで、「コロナの感染は抑えたい。でも経済を回したいからGO TOキャンペーンは継続したい。」みたいな、こっちを立てればあっちが立たず状態だなと思いました。

関係者(法律関係者でも、演劇・芸能関係者でも)のみなさん、ご意見お待ちしています。

明日は、きぬんぬ(@sakufool04)さんです!

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