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朝日新聞社説「住民投票条例 共生社会を築くために」を読む

 朝日新聞が、武蔵野市住民投票条例について、「住民投票条例 共生社会を築くために」と題して社説を出した。読売新聞も社説を出していたが、あまりに酷いものであり、問題があると感じたため、批判してきた(読売「住民投票権 外国人参加を安易に考えるな」という排外的社説)。
 朝日新聞の社説は、極めて客観的な事実・通説的な考えに則したものであるといえる。読売や産経などの新聞や長島昭久らの言説に対する拙稿による批判と相当類似しており、少しコメントしながらみていく。

 なお、読売の社説についてはこちら。

1. 委員会採決と公明党

 そのまちに住む多様な人びとが、互いに認め合い、意見を交換しながら「共生社会」を築いていく。そんな施策のひとつとして意義深い取り組みだ。
 東京都武蔵野市が制定をめざす住民投票条例に、注目が集まっている。18歳以上で、市の住民基本台帳に3カ月以上続けて登録されていれば、国籍を問わず投票資格を与える内容になっているためだ。
 21日の市議会本会議で採決される予定だが、それに先立つ総務委員会では、自民、公明の議員が外国籍の人が含まれることに疑義を呈し、最後は委員長の裁決で可決となった。

 あまり付け加えることもないが、「公明の議員が外国籍の人が含まれることに疑義を呈し」反対したというのは驚くべきことであった。
 というのも、公明党はかつて繰り返し外国人の地方参政権を認める法案を提出しており、2021年の衆院選公約集でも「日本で生まれ育ち、納税の義務等を果たしている永住外国人への地方参政権の付与を実現します」(48頁)と記載している。地方参政権にその効力等が遠く及ばない住民投票権付与に反対するというのは、党の方針と矛盾するものである。

2. 国益を害するか

 議論するのはもちろん大切だが、誤解・曲解と言うほかない反対意見も散見される。最たるものが「外国人の意向で国益が害される恐れがある」「参政権を与えるのと同様で違憲の疑いがある」といった主張だ。
 市が提案しているのは、市政に関する重要な問題について、投票資格者の4分の1の署名で住民投票を実施できるようにする「常設型」条例だ。投票結果を市長と議会は「尊重」するが従う義務はなく、独自に判断することができる。

 読売新聞の社説が「地方自治体の判断は、安全保障やエネルギー政策など国益に関わる問題に影響を及ぼすこともある。」としたことなどに対する極めて冷静な反論ともいえるものである。
 そもそも住民投票条例について、法的拘束力がないのは憲法や地方自治法等との関係もあり、全国共通である。安全保障等の国の専管事項について、市が権限を持たないのも同様である。

3. 「違憲うんぬん」

 違憲うんぬんの指摘も的外れだ。最高裁は95年、「自治体と特段に緊密な関係をもつ人」にいわゆる地方参政権を与えることを憲法は禁じておらず、立法政策の問題だと述べた。ましてや法的拘束力のない住民投票への参加は、憲法やその他の法令に反するものではない。

 これも、読売新聞の「1995年の最高裁判決は、国政だけでなく、地方の選挙も外国人に選挙権は保障されていないと結論づけた。」という社説に対するド直球の反論である。
 1995年の最高裁判決では、外国人の「選挙の権利(地方参政権)を保障したものとはいえないが」「憲法上禁止されているものではない」とした点がもっとも強調されるべき点である(※丸括弧内著者加筆)。この判決があったからこそ、判例は地方許容説(=外国人の地方参政権付与は許される)にたっているとされる。
 法的拘束力のある地方参政権でさえ禁止していないのであるから、住民投票権付与が違憲(禁止している)と考えるのは、相当無理がある

4. 外国籍住民は仲間

 住民登録が3カ月以上に及ぶ人は、外国籍であっても納税や健康保険への加入などの義務を負う。地域が抱える課題について意見を表明する道を開くことは、ともに社会を構成する仲間として遇し、その権利・存在を尊重しようという姿勢のあらわれであり、支持できる。

 読売が社説で「長く日本に居住しているわけではない人が、日本人の考え方や習慣を十分に理解せず、政治的な運動を展開したり、票を投じたりする事態につながらないか。」としたのに対して、極めて冷静かつ現実に則した考え方である。
 そもそも読売の「日本人の考え方」という言い回しは差別的であると同時に、日本人を一纏めにする点でも問題がある。すでに共に暮らし、納税や健康保険の加入(=健康保険料支払い)をする外国人を「考え方や習慣」が違うと決めつけて排除することに合理性があるのか。
 あくまで、市の重要事項に関する住民投票権付与、すなわち「地域が抱える課題について意見を表明する道を開くことは、ともに社会を構成する仲間として遇し、その権利・存在を尊重しようという姿勢のあらわれ」であり、何ら排除する理由はない。

5. 先例

 すでに40を超す自治体が、常設型の条例で外国籍住民の参加を認めている。一定の資格や在留期間を要件とするところが多いが、神奈川県逗子市や大阪府豊中市は、今回の条例案同様、日本人と同じ条件で投票資格を付与し、00年代後半に制定・施行されて以来、特段の問題は起きていない。

 これについても、読売は社説で「すでに外国人も投票できる住民投票条例を持つ自治体は全国に40を超えるという。…大阪府豊中市と神奈川県逗子市は、武蔵野市と同様に日本人と外国人を区別していない。」などとしているが、その現実の問題について、何も論じていない。問題が起きていない以上、否定的な意味で論じることができないのであるが。
 なお、読売は沖縄県の住民投票を問題視しているようだが、沖縄県の県民投票(住民投票)では、外国籍住民は永住者含め、一切投票権が付与されていない。これは私見だが、そもそも沖縄の県民投票は、国が沖縄と向き合わないことを問題視してはじまっており、沖縄の県民投票は何ら問題なく「法的拘束力がない」として辺野古埋立反対多数という結果に向き合わない国に問題があろう。

6. 「荒唐無稽な話」

 にもかかわらず、いま武蔵野市が「標的」となり、「中国が市人口の過半数の8万人の中国人を転居させれば、市を牛耳ることができる」といった荒唐無稽な話が飛び交い、街頭で外国人差別の演説が繰り返される。経済活動の維持のため外国人の受け入れを進める一方で、こうしたゆがんだ排外主義がはびこる風潮は、社会を危うくする。

 佐藤正久議員の「中国からすれば格好の的。やろうと思えば、15万人の武蔵野市の過半数の8万人の中国人を日本国内から転居させる事も可能。行政や議会も選挙で牛耳られる」などという算数すらできていないツイートについてだと思われるが、まさに「荒唐無稽」である。(書くまでもないが、過半数にするには約15万人必要である。あるいは8万人の現在の日本人住人をどこかへやって代わりに8万人の中国人を住まわせる…?)
 街頭での外国人差別の演説もすさまじい。右翼団体が武蔵野市内各所で街宣し、「中国人が~」と外国人=中国人、そして中国人=「悪者」と決めつけたような演説はひどすぎる。外国人は理解できないから住民投票権なんて不要だ!という演説をする衆院議員・長島昭久氏らもいる。
 「経済活動の維持のため外国人の受け入れを進める一方で、こうしたゆがんだ排外主義がはびこる風潮は、社会を危うくする。」とはその通りである。

7. 市議会の判断

 市議会には、地方自治の本旨を踏まえた、事実に基づく冷静な判断が求められる。

 読売は社説で「武蔵野市に今なぜ、外国人の住民投票権が必要なのか。付与すれば、なぜ地域の利益につながることになるのか。市議会はよく考えて結論を出す必要がある。」というが、拙稿でもかいたように、まさに答えは憲法92条で要請される「地方自治の本旨」なのである。

8. まとめ

 改めて、拙稿で繰り返しのべてきたことを、要点を絞って端的にまとめたような社説である。あえて読売と対比させたりもしたが、読売の社説に対する反論で私が述べてきたことと相当類似しているなど、私としても勝手に嬉しがっている次第である。

 また、朝日だけでなく、東京新聞(中日新聞)、信濃毎日新聞も住民投票条例の意義、反対派の異様性について社説を書いており、これらもまた充実したないようになっている。荒唐無稽の産経と比較しているので、ぜひ一読していただきたい。

これまでの住民投票条例についての拙稿




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