【モヤモヤ】こちら、ぼやきになります。

「1,000円ちょうど、お預かりします」
「上記の認識でよろしかったでしょうか」
「ご確認いただけますでしょうか」

ここは日本で、我々の多くは日本人である。
そして主な使用言語は、日本語である。

だが、子供から大人まで、もちろん私も含めて、『完璧な日本語』を話せる人は、かなり少ない。

「じゃあ英語を話すアメリカ人は完璧な英語を話してるんかよ」
そうとも限らないだろう。それどころか、英語のわからない人からすると、うまく聞き取れないのでおそらく完璧な英語を話しているのだと感じてしまう。

上記のことを、日本語Ver. で実感することがあった。

仕事のなかで、海外の人とも関わることがある。カタコトながら、とても上手に日本語で文章を書いて送ってくるので、日本語力の高さに驚かされている。
しかし先日、冒頭に例示したような文章を送ってきた。

どのようにして日本語を学んだのかは知らないが、先方で日本語の教育を受けた際に、「間違った日本語」については学ばなかったのかもしれない。フレーズとして習得し、単語や文節の意味するところや印象までは、学ばなかったのかもしれない。

でも、もし、「日本の方がいつも言ってるニホンゴだから、これは合ってるニホンゴだ!」と受け取ってしまい、そのまま使っていたら?教育の過程で、「このフレーズはこういう時に使う!」と教えられていたら?

我々は、間違った日本語に気が付くことができるのだろうか。
わからなくても、違和感を覚えることは、できるのだろうか。

私のように、ちょっとでも変に思ったことがあるとすぐに調べる人は、おそらく変人に分類されるとは思う。だが、「気づき、調べる」ということが大事なのではないかと、私は思う。『向上心のない者はばかだ』とまでは言うつもりも無い。身近な疑問を逃さずに解決して次の疑問を探すことこそ、成長や達成感を得られるいい機会だと考えている。
疑問にも思わず、違和感も覚えなくなってしまったら、もうそれ以上成長することはできなくなってしまう。

私は、これからも正しい日本語を使えるよう、成長していきたい。

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