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映し出す鏡

留学中

クラスに、あるいはプラクティスに向かう途中

そして、街をふらっとする時間がある時

ポケットに入る最小のデジカメを携えて

写真を撮るのを楽しみにしてました


自分の好きな風景

気に入った場所

心惹かれるもの


当たり前の日常の景色の中に浮かび上がる

美しいもの

猥雑なもの

印象的で

時に挑発的で

そうしたシーンを切り取る


個人的に楽しむだけだから

あまりに社会的なものは撮影しないけれど


でも、そうしたものも、頭のなかに

フレームに切り取られた映像として

しばらくの間、残像が残り

それについていろんなことを思い巡らせたりする


ただ、美しく撮られたものより

背景にあるストーリィが見え隠れするような

あるいは

撮影する側の内に描かれた世界が感じられるような

そうした写真に惹かれる


マンハッタンを歩く毎日のなかで

鏡やガラスに映る自分を撮るのが

いつの間にか習慣になった


授業に間に合うように急いでいたりすると

足早にあるきながらの撮影になるから

「ながらセルフィ」と名前をつけたシリーズ

その瞬間の私がそこにいる


***


瞑想の講座に参加していた時

ディスカッションする機会もあって

いろいろな意見をもらうことで

一人でプラクティスするのとは違って

今の自分の

ある一部分の輪郭がとてもはっきり見えた


そうした気づきは、時に痛いほど生身だったりする


自分には見えていなかったこと


いや、多分どこかで、きっと感じてはいたんだけど

それがあまりにもいつもの習慣になってるから

忘却してしまうのだ


六波羅蜜の実践において

自分に寛容になりなさいというアドバイスをもらった


そうか、そうだ、私その傾向があるんだった


ずいぶん変わったって思ってたけど

私は自分に厳しい、多分、とても


たくさん自分に要求し

それをこなせない自分に苛立ったり落胆したり


自分に寛容になれなかったら

どうやって人に寛容になるのだ?と思う

ガラスに映る私と同様に

人もまた私を映し出す


それは、人の振りを見て・・・という意味ではなくて

自分自身の人との接しかたから


表面的に優しくて、思いやり深いようでいて

実は、深いところでそうでないこともある

それはとても繊細な違い

微妙にずれているという感じだろうか


自分自身の中にそれを見る勇気を育てる

そのプラクティスを私たちは瞑想で行っているのだと思う


今日は、よりちょっと広くそして深く

寛容になれればいいなと思う

自分自身に

そして周りの人に


Love & Gratitude