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7月の活動報告−2

珠洲の正院町で建具を直していると、ちょっと強面の地元のサッシ屋さんがちょうど仕事に来て、二人で休憩中にお話しする機会がありました。
サッシ屋さんは自宅も会社も津波の被害があり、床上浸水し、ご自身で床を剥いで基礎の中に入り込んだヘドロを掻き出したそうです。
それでもまだ臭いが残っていて、いまだに慣れることができないとおっしゃっていました。

お話を聞いていると、実はもともとは建具屋さんだったとのことで、今もサッシの工事の際についでに建具を直すこともあると。

僕は建具屋さんではないので、本業の方を目の前に、建具をいじりたくないな…
と思っていた矢先、俺も一枚や二枚はタダで直してやることもあるけど、あんたみたいに何十枚もボランティアでっていうのは本当にすげえと思うよ。
この間もボランティアの人が倒れた塀をきれいに片付けていて、そんなことなかなか真似できることじゃねえなと思う、と言ってくれました。

感謝をされるために活動しているわけではもちろんないのですが、自分が生業にしている仕事がこのような形で活きるのは本当に良かったと思いました。

建具を直している時にボラキャンすずの方が、「私にも是非教えて欲しい」とおっしゃったので、僭越ながら簡単に説明させていただきましたが、少しでも珠洲の力になりたいというボラキャンすずさんの熱い気持ちが伝わってくる瞬間でもありました。

自分は時間の制約があって現地にいられないことが多いですが、こうして修繕方法をシェアしていくことも大切なことだと思いました。

建具を全て直して帰ろうとすると、お父さんがいつまでも深々と頭を下げて見送ってくれているのが塀の隙間から見えて、なせだかすごく切ない気持ちになったのを覚えています。

今回初めて、珠洲でボランティア活動をさせていただきましたが、お会いした方々のほとんどが、被災されている身にも関わらず、ご自身で家の修繕をされていました。中にはコンクリートをハツって(壊して)設備工事をご自身でされたり、ホームセンターで床材を買ってきでご自身で張られたりしていて、その逞しさに驚きと尊敬に近い気持ちになると共に、なぜ被災された方がここまで自力で頑張らなければいけなかったのだろうか、と思わずにはいられませんでした。

あるお家でのお話ですが、そこのお父さんも家を自力で直そうとしていて、全壊した家から今住んでいる建物までユニットバスを移設したいとのご相談がありました。家の中に上がらせていただくと、壁や床をご自分で修繕されていて、その仕上がりがあまりに上手かったので、軽口で「いやー、お父さんに弟子入りするかな」と言ってみたら、「まず俺のうちを直してから弟子入りしてくれ」と言われ大笑い。

別のお宅でも釣り好きのおじいちゃんたちの釣り談義で盛り上がったり(すいかで黒鯛がつれるらしいというのと、それぞれがそれぞれの釣り方をなってないと思っているのが面白かった)

今でも現地は大変な状況下にあることに変わりはないのですが、良い人ばかりだし、山から海の往復も近いし、能登ヒバなんてあるんだ!とか、その匂いの良さにびっくりしたり、芯から湧き立つような熱い祭りがあったり、今までシリアスな部分ばかり見てきたけれど、そういえば僕は能登の良いところを全然まだ知れていないんだと気づきました。

どうしたって、群馬にいる時間の方が長いので、今までも群馬にいてもできることを探して、2次避難の方の家電を集めて送ったりしてきましたが、今は震災を風化させないこと、話を絶やさないことが群馬でもできることだと思っていて、でもネガティブな気持ちになるお話ばかりだと皆んな参ってしまう、現地の人も他の県に住んでいる人もそれは同じです。

震災関連の取材をしているフリーの記者の方も、ネットに記事を書くが見てもらえないと言っていました。(ある街の方に取材をしたところ、「炎上しても良い、嘘でもなんでも良いから記事にしてくれ、忘れられるよりずっといいから頼む」と言われたそうです。)

まずは自分の中の能登=震災を変えたいし、
肌感覚で能登ってこんなすげーいいとこなんだってことを僕がもっと知らないとな、と今は思っています。

次の記事に続きます。

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