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どうせならお互いに心地の良い対話がしたい。

価値観を考える。


価値観は人それぞれ
人との関わりのなかで大切にしていることもそれぞれ。

そうと分かっていても
なんだか相手のことが許せないこともある。

時間を大切にする人もいれば、ルーズな人もいるし
言葉を大切にする人もいれば、気にならない人もいる。

密を大切にする人もいれば
距離をとることを大切にする人もいる。


『大切」の度合いだって実は、人それぞれ。

ぴったり合う人の方が稀。

でも、イライラしたり凹んだりしちゃう。

自分の使う言葉に気をつけていても
それが相手にとっては心地の良いものかどうかなんて分からない。

人のちょっとした言葉に傷ついたり
なんでそんな言い方するんだろうと考えたりもするけど
それが相手にとってのホンネなら
逆に心地の良いものにだって変わる。

色々一人で考えてグルグルしても
ただただ、自分の心のお水を減らしてしまうだけに過ぎない。

時間一つとってもそう。

なにかと厳格な父の下で育ったのと
定刻出発に命を燃やす仕事をしていたので、
「時間を守らない=他人に迷惑をかける=いい加減な人」
の構図がサッと頭をよぎり、なかなかに決めつけまくってた時もある。

段取り星人だったし、無駄な動線大嫌い。
夫は自分の段取りがあるしで、よくお互いにイライラしてた。
今はのんびり生きてます。笑

子育てやコーチングとの出会いを通し、
いろんな人の価値観を知ったことで
心の平和が保たれたように思う。

時間一つとっても、言葉一つとっても
ちょっと角度を変えてみるといろんな面が見える。
一見、いい加減だなと思えることも
人のこと大事にしていないかって言ったらそんなこともない。

ちょっとした歪みから起きること。

人それぞれとは言っても価値観の近い人との出会いは
嬉しいし、とても心地が良い。

でも人の感情は表裏一体だから、
ちょっとした歪みが起きると違和感を抱き
途端に姿を変えて関係性がねじれてくることもある。

それは知らず知らずに「自分と似ている価値観」から、
「自分と同じ価値観」にすり替えてしまい
理想を押しつけたり勝手に期待したりしていると起こりやすい。

人と人の関係なんて、デコとボコなところがあるから
面白かったりお互いに補い合えたりするのに
全く同じなわけがない。


自分の過去も含め、いろんな揉め事を見ていていつも思うのが、
自分が何に怒ったり悲しんだり凹んだりしているのか、
何をどうしたいのかが段々と絡まってきて
あげく分かんなくなってしまう人が多い。

なんとなく感じる歪みからの違和感に不安になり
表面上に見えている怒りや悲しみを相手にぶつけてたりする。

本人がねじれてるもんだから、そりゃ関係性もねじれて当然。


歪みを修正するのは、相手を理解することよりも
勝手に不安にならないこと。

いろんなところにある歪み。

全くねじれのない人間関係を作ろうと思っても
いつもいつもはやっぱり無理で。
人間だから浮き沈みもあるし
自分の感情に素直になれない時もある。

でもって、
どれだけ上下関係がないと言われる環境でも
少なからず見えないヒエラルキーはあって然り。

それを相手の高さに自分の価値観やホンネを
押し殺して行こうとするから
ここでも歪みが生じてギクシャクし始める。

フラットな人間関係は理想だけど
人と関わる仕事をしていて思うのは
完全なフラットな関係性は難しい。

チームリーダーになってすぐの頃
それまでは腹割って話していたはずのメンバーが
私以外で集まっているのを見て凹んだことは言うまでもなく。

肩書きがついた瞬間に
見えない壁ができてしまうのは
もうどうしようもないと思う。

それまではリーダーとメンバーを繋ぐ立場にいたから
風通しが良いように感じていただけで
見えない壁はきっと存在していたのだと思う。

それでも私がメンバーに支えられていたことは
紛れもない事実で、
相手の高さに合わせることに必死になることをやめて
私は私でその肩書きで支えられることをしたら
不思議と凹むことはなくなった。

だから、メンバーを抱えて試行錯誤されている
クライアントの気持ちが痛いほどわかるし
繋ぐことの必要性も知っている。
そうした方のサポートができるお仕事をいただけているのも
何かのご縁なんだろうな。

無理に丸にしなくても壁があったとしても
それぞれのカタチで大切にできていたら
お互いを高め合いながら心地良く進んでいけるもの。

対話やコミュニケーションに必要なことは、
相手に100寄り添うことでも
100寄り添ってもらうことでもなくて
相手と自分の間に意識を置くことだと思う。

ほんの少しでもお互いを大切にできたら
なんとなくでも真ん中に近づいてくるもの。

心地良い対話に必要なこと。

その見えない壁が発生していたヒエラルキーな世界。
でも、不思議とフライトしている時は全く気にならなくて。

それはきっとチームで動く時には
共通の目的を持ったそれぞれがパフォーマンスを発揮し、
コミュニケーションをとることを第一優先にしていたからで

「仕事における信頼と敬意」を、持ちあわせていたからだと思う。
フラットな関係ではないけれど
常に相手を尊重し真ん中に立って対話している感覚。


これが、はじめましてのチームでも出来るんだから
今思えば、凄い世界にいたなと我ながら思う。

もちろん例外もあって
まっったく信頼もしてもらえず敬意のかけらもない人に出会うことも。
人生において一度だけフライト中に涙したことも付け加えておく。



自分が、自分が、でもなく
相手に、相手に、でもない。

理解しよう、理解できないの狭間にいて
ホンネを押し殺して関わるくらいなら
そんな考え方もあるんだなと軽く捉えるくらいがちょうどいい。
(涙した時はこれができなかった。)

同じ不安になるなら
自分のホンネをいつも知っておくだけで
百万倍建設的で、百万倍心豊かに生きられる。


お互いに心地の良い対話をするために必要なのは
自分のホンネを素直に感じ、大切にできる力。
それがあれば、相手のことも大切にできるのになぁ。

と、価値観を考えながら思ったことをツラツラと書き殴ってみた今日のnote。


自分の価値観を正しく知っておくことは大切なことに変わりはないので
しっかり掘り下げてみたいなと思ったらいつでもお知らせください。




最後まで読んでくれた方は、神。




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