インターネットの海の傍観者
インターネットと共に生きてきた世代なので中学生の時からTwitterをやってるし高校でInstagramも始めた。でもいつも傍観者だった。ひっそり隅っこで。基本は鍵垢、身内のみ。Twitterは誰に向けてる訳でもない独り言だし、インスタも誰に見せるためでもない思い出アルバム感覚。
今までずっとそうしてきた私が、言ってしまえば「自分の公式アカウント」のようなものを配信で持ってしまった訳。主体は自分。ものすごく不思議な感覚。言い方は悪いけど少し心地が悪い気もする。
傍観者のままでよかったんじゃないか
今更だけど考えてる。
歳を追うごとに人前にでる柄では無くなってるのは自覚してる。都会でやっていた‘’自分を売り物にする‘’ことに疲れてしまっていたはずなのに同じようなことをしてる。
メリットはシンプルに収入。あとはネットとはいえ交流が持てたこととイベントでの達成感。楽しいは楽しいし、ブログで前にも言ったけど「何も出来てない自分」じゃないことへの安心感。
ただそれに対して、明らかに時間が裂かれる。当たり前だけど。元々人間関係は狭く深く派。ネットでもそう。でも配信はそんなこと言ってられない、人と人との繋がり、協力、挨拶に枠周り、浅くて広い輪が広がってきた。嫌ではないけど私にはすこし疲れる。
大好きだった今季のアニメをみる習慣も溜めてるし、ソシャゲを開くのもゲーム進めるのもpixivみるのも時間が無い。友達との電話も、家族との交流も減っちゃった。
何が大事なんだろう?
私はあまり欲がないから自分の居場所は少しでいい。大事にしてくれるひとを大事にしたいしまず身近なひとを、あとは自分を1番大事にするのがここ数年ずっとモットーだった。そのバランスが取れなくなってきて戸惑っているのかもしれない。
少なくとも配信アプリ中心の生活にはなってはいけないと思ってる。支配されちゃダメだと思ってる。私はね。だってリアルで生きてるんだもん。
トップライバーになる!とかだいそれた夢はない。小さな目標をコツコツと‘’なにかをできてる自分‘’が居て、そこに配信に来てくれる人が少人数でも、楽しいと思ってくれればそれでいい。
趣味のひとつになるのかなこれからは。
仕事がもう始まるからきっと必然的に配信に今まで通りの時間は取れなくなる。それでもいい。きっとその方がいい。
書いてて考えがまとまってきたきがする。
傍観者じゃない配信者の私もやっぱり隅っこでひっそりしてたい。小さなコミュニティを大事にしたい。
それでいい。
私は安心する隅っこでいい。
配信が1番大事、になるために始めたわけじゃないんだから。きっと逆効果だ。
いつか終わりがくるとおもうけど。たのしくのんびり隅っこで。もう少しやっていこうと思った。
そんな考え事をしていた夜でした。
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