ママのこと⑰不穏

翌朝すぐに役所へ行き、介護保険の手続きをした。本当なら審査にくるのにしばらくかかるそうだが、次の日には来てくれた。
役所の駐車場でパート先にしばらく休むことを伝えた。

帰ると訪問看護の来る時間になっていた。
週3回で契約していたけど、毎日来てくれることになった。
それだけでとても安心した。
ママはまだトイレに自分で行けていた。でも心配なので紙おむつをするようにした。

おむつはばあばが自分のをとりあえず持ってきて使った。

体を拭いてもらっている間に私だけ別室に呼ばれて看取りのパンフレットを渡されて、こうなったら電話してください、救急車は呼ばないでください。家族みなさんで読んでおいてください。と言われた。

また涙が止まらくなった。

看護師さんや先生の前では泣けるのに、家族に伝える時には気丈に説明した。

自分がしっかりしなくては、という思いだけだった。

こんな状態になってもパパは仕事を休まないし。
夜中に出勤する日々だった。

夜はばあばがママの付き添い。
高齢なのに申し訳なかった。でもばあばにとっては自分の娘だから一緒にいたかったと思う。

ママはだんだん痛みを訴えることも多くなった。
ばあばがさすってあげていた。

そして相変わらずバタバタしていた。ジタバタともいうのか。
それを見守るのが大変だったと思う。

ある夜、あまりにもワーワー叫んでしまった時があったらしい。先に寝ていたパパが起きてきて、不穏時用の座薬でなんとか収まったそうだ。

まったく食べも飲みもしなくなってしまったので、湿らせた脱脂綿で水を口元に流すしかなかった。
唇もガサガサになってしまった。

これが2回目の診察予定日の1/17以降のママ、21日が命日。

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