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「ふつうの家族」コンプレックス

最近、私の周りに漂っていることたちに対して、どんどん思考があふれて困るので、一旦ここに書き留めておく。
人生とかいうばかでかいものについて悩んだときは、川上弘美をよく読み返す。お気に入りの短篇集から、ひとつ刺さったので引用。


日曜日の夕方、早めの夕飯を済ませてから一人でぼんやりとテレビを眺めていたりするときに、わたしは弥生ちゃんのことを思う。弥生ちゃんを、わたしは知らずに少しだけ、傷つけていたんだろうな、と。
あの日海岸で言った「まるちゃんと結婚したら」という、考えなしの言葉はもちろんのこと、わたしがふつうに家族に囲まれ、ふつうに家族と喧嘩し、ふつうに家族と仲良くし、そのうえ「ふつう」であることの幸せをわたしが全然わかっていない、ということが、きっと弥生ちゃんを傷つけていた。
そしてまた、何の悪意もないわたしに、ひそかに傷つけられている、ということ自体にも、弥生ちゃんは傷つけられて。
川上弘美「ピラルクの靴べら」
『パスタマシーンの幽霊』より


***

「ぶっちゃけて言うと、同棲とか結婚とかに今のところは興味がない」と言われた。

同棲は、私は、一緒に暮らせるといいなぁ、という気持ちはあるけど、別に今すぐじゃなくていいとは思う。結婚を前提とした同棲、というのが一般的みたいだけど、そのプレッシャー的なものも息苦しい。ただ、近いところで相手を感じながら日々の感慨などを共有して生活するのはきっと楽しいだろうと思う。

結婚は、周りがどんどんしていくのをみんなよく決めるなぁと眺めてるだけで、自分がほんとうに結婚というものをしたいのかどうかはよく分からない。まだまだ自分が人生の主人公だという気持ちがある。
結婚したからといって、自分の人生の主人公は自分だし、と頭では思うものの、この未消化な心地のまま、いわゆる「ふつう」の次の人生を進めていくことについて、得体のしれない何かに飲み込まれているような穏やかではなさがあり、それを無視して進むことは今の私にはできない。

いつかは子という存在を得たいというふうには、割と昔からずっと思っているけど、それだって色んなやり方が今はある。
世の中的には、子を持つのは生物的に早い方が体力が必要だからいい、とか言うしそれは実際そうなんだと思うが、でもだからといって私の、私だけの人生を、そんな世の中の言説のために、焦って決めたり進めたりしたくない。そんなふうに焦って人生を進めることは、きっと子にとっても不幸であろうし。

そもそも、同棲とか結婚とかその先に続くいろいろとかに、私は興味があるんだろうか。
さらに言えば、興味があってそれを望んでいるように見えているんだろうか。


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「君のうちの方が、なんていうか僕のところよりちゃんとした家族だったんだろうなという感じがする」とも言われた。

たしかにうちの家族はいわゆるちゃんとしたごくふつうの四人家族で、そんなに裕福ではなかったけれど、両親は仲が良く、いわゆる家族の行事をしっかりやり、夕飯は家族そろって食べる、そしてそれを良しとするという文化がある家庭だった。
そしてうちの父親は大変に優しい人だった。(母と妹についてもいくらでも語ることはできるが今回は保留する。ごくふつうの良い関係だった)
平日は公務員として朝から晩まで働いていたが、できる限り家族と夕食の団欒を過ごそうとしていたし、土曜日の部活への送り迎えは嫌な顔ひとつせずやってくれたし、奮発してカニ鍋を食べるときは硬いカニの殻を率先して剥き我々に配ってくれた。とにかく何かと世話を焼いてくれた。娘二人を持つ父親らしくやや心配性で過保護がすぎるきらいがあったが、それも優しさゆえであった。ほんとうにごくふつうのちゃんとした家族だった。

だけど、「ふつうの家族」というのは家父長制の具現化めいていて、私はそれが結構いやで、ずっと内心、時々は表立って反発していた。それも含めてちゃんとした「ふつうの反抗期」なのかもしれないけど、わたしはその「ふつうの家族をちゃんとやっている」感じがうっすらずっと嫌だった。何か決定的な事件があった、というわけでもないが、父親の過保護めいた言動の数々が私にはずっと負担で、それが積もり積もって、ある時からはもうずっと好きではなかった。

上京して離れてからは、むしろ「ふつうの家族」が父親の当然の夢かつ理想なんだろうなと割り切った気持ちが芽生え、ふつうの家族の一員たる「いい娘」らしく帰省のたびにお菓子やちょっといい酒などを買って晩酌してあげたりなど、ご機嫌に過ごしてみたりした。実際それができているときは、当時の反抗的な気持ちが瓦解したような気もして、まあ私も大人になって丸くなったのかな、など感じた。
だけどやはり、そういう「いい娘ごっこ」はだいぶ精神的余裕がないとできなくて、今現在はうっすら気持ち悪いが勝っている。

自分の精神的に余裕がなくなってからのここ一年(これについてはいつか別途書く)は、完全に「いい娘ごっこ」は出来なくなって、仕方なく帰省した時も、父親とはほとんど全く言葉を交わさなかった。とても冷たく接していた。意図して冷たくしているというのでもなく、生理的に苦手なものの前で拒否反応が出るようなもので、にこやかに穏やかにすることができない、という現象に近かった。「いい娘ごっこ」はやはりかりそめで、結局ずっと私は父親をずっと好きではないのだな、と観念した。
しかし、育ちというものは怖くて、根っこのところで「いい娘」でない自分を反省し、悪いな、と思ってもいる自分もいる。でもそれも含めて、やっぱり気持ち悪い。

こういう話を、何かのはずみに(あくまでライトに)人にすると、「お父さんいい人じゃない、かわいそうよ〜そんな意地張らず仲良くしてあげなさいよ〜」的なことを言われる。
まぁ確かに、手塩にかけて育てた娘に冷たくあしらわれる父親は不憫だし、いつまでも反抗期的なことをやっている私が意固地でダサいとは思うが、
例えば、いつか私がこれまでの冷遇を詫び仲直りを経て談笑しあえるようになり不仲の時期も含めて美談になったりする……などという未来を想像するだけで、吐くほど最悪だと思う。


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先日友人の結婚式に出席した時、バージンロードを父親と歩くという鉄板の演出があったが、私はそれを絶対に絶対に絶対にやりたくない。
演出の意図するところ(娘を父親から新郎に受け渡す)も、晴れ舞台で父親に華を持たせてあげる的な発想も、実際それをやった場合に父親が感慨深く思うだろうというのも全てが最悪だし、私はとにかく最悪な気持ちにしかならない。あれを平気な顔で感動的にやってのけている友人はすごい。
と思いつつ、しかし人の幸せはめでたいと素直に思えるのであたたかい気持ちで拍手をした。

大人になってから数回結婚式に出席したが、結婚式はこれまでの人生の履歴書だ。「これまで素晴らしい両親・家族・親戚に育てられ、素晴らしい友人・同僚・上司に恵まれ、このような素晴らしい人生を生きてきて、そして今素晴らしいパートナーに出会い、新たな素晴らしい人生を築いて行きます」という筋書きだけが許される履歴書の発表会。
ずいぶん皮肉めいた表現だが、実際、結婚式とはこの能書き通りに進行されるそういう儀式なのだ。それがふつうの結婚式らしい。

御託をつらつら並べているが、さいわい私には感謝したい親類や友人がおり、めでたいハレの場も好きで、うまく上辺を編集すれば結婚式用の履歴書を書くことができるだろう。
そして結婚式をやれば、色々なモヤモヤを吹き飛ばしてきっとふつうに楽しく嬉しく感謝し感動できてしまうのだろう。
多分結婚式とかそれに続くライフイベントはモヤモヤを凌駕するパワーがありそして、そういう圧倒的なパワーに対して、世間一般が抱く通りいっぺんの憧れも一応ふつうに持ち合わせてしまっている。
きっと飛び込んでしまえば結局私はなんだかんだ「しあわせだ」と感じるだろう。
だけど、そんなうふうに、偉大な愛のパワーで、過去の不穏も今の違和もすべて包んで全肯定できるような気持ちは、今のところない。いろいろな気持ちを未消化なまま、いわゆるふつうのライフステージを、結婚、出産、育児…と進めていくことにめちゃくちゃ抵抗がある。

ふつうに育った私は、ふつうの人生を進めていくことが、なんだかすごく腑に落ちない。


***

ふつうの家族で生まれ育って、ふつうに育って、ふつうに家族の話をして、そのことで、「君のうちの方が、なんていうか僕のところよりちゃんとした家族だったんだろうな」と感じさせていた。

あまり嫌な話はしたくないから、父親との話とか、こういう煩悶については、特に話したりはしていない。
だけど、例えば、その言葉に対して「私だって父親とあんまり仲良くないよ」と言ってみたところで、彼にとっては私のこういう悩みやいとわしさも、結局のところきっととても「ふつう」で「ちゃんとした」ものなのだ。おそらく救いにもならないし、いらぬ同情によってより絶望させるかもしれない。
「僕のところ」について、私は詳しく聞かないから何がどう違うのかわからない。無邪気に聞いたら聞いたで、もっと「君のうちは、ふつうの家族なんだな」と遠いものに思わせるかもしれない。

私は、私のいろいろなモヤモヤがふつうなのかふつうじゃないのか、全然わからない。でも、ふつうの家族で育って、ふつうにそれなりに悩んで、ふつうの人間に見えている私自身が、なんだかとても恨めしい。(特別になりたい、という気持ちともちょっと違う)

きっと、すべての家族はふつうに見えて、それぞれの問題があったりなかったりして、みんな、「ふつう」を恨んだり羨んだりしながら生きている。

ぜんぜん、君が抱えている絶望みたいなものは私にはわからないけど、でも、だから、私は私で、君と違う人間なのは当たり前で、私は君と一人の人間同士として良い関係を築いていきたいよ、と思っている。


一旦、今の私に考えられるのはここまで。
誰かと人生とかいうばかでかいものについてとめどなくしゃべりたいな~。


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