コワーキングは自然発生的にコトが起こることを勧奨する:今日のアウトテイク#309(2024-09-22)
<アウトテイク>
・SNSに投稿するのではなく、これを自分SNSとした投稿
・記事として仕上げる前の思索の断片、または下書き
・一部、筆が乗ってきて文字数多いのもあり〼
・たまに過去に書いたネタを展開する場合も
・コワーキング関連のネタが多め
・要するに「伊藤の現在地点」
・1ヶ月ごとにKindleでコラム集にまとめていってます
#今日のBGM
#今日のコトバ
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#ハイブリッドワークは永遠に解決しない巨大企業のジレンマを露呈する
先日のAmazonの一件、やっぱり向こうでもガンガン非難されている。そりゃそうですね。
もう、いちいち雑訳しないけれど、いわく、
とまあ、まだまだ続くけれど、散々な言われようだ。でも、そうなんだから仕方がない。
ハイブリッドワークは、単に従業員のわがままではなく時代の要請であり、かつ有効であることは、さまざまな調査結果が示唆している。
そうそう、これからの時代に沿った人材確保という点でも、ハイブリッドワークを放棄するのは企業の死活問題に発展する可能性が高い。
別の調査では、「完全週休2日制よりもハイブリッド勤務の方が、生産性と仕事の満足度を最大化するために最適なバランスであることが示唆されている」。この「仕事の満足度」が大事。働くのは人間だから。
ただし、AmazonがいかにIT企業の看板を掲げようとも、物流会社であることに変わりがないことを考えれば、社員のリモートワークに限界があるのも容易に察しがつく。
パンデミックでネット通販が急増してあわてて従業員を増やして対応したものの、それが一段落すると逆に余剰人員として持て余すことになり、そこはアメリカ企業だからさっさと首を切ってきたわけだが、労働集約型産業の宿命としては常に人件費が大きくのしかかる。
とすると、今回のハイブリッドワーク禁止令は、多くの社員から反発されることを見越した、いわば体のいい馘首とも考えられるがどうだろうか。
とかなんとか言ってたら、いやいやいや、これは税金が絡んでるんだよ、という情報が元Amazon社員からもたらされた。いいねの数がスゴイ。
最後の部分にこうある。
なるほどね、これはAmazonのような大企業なら大いに有り得る話。というか、ずばり、これやね。
そうすると、あながちAmazonのエゴとばかりは言えない、かもしれないが、こういう行政と企業との持ちつ持たれつの関係を維持するために、余計なコストかけてオフィスを使い、通勤を義務化し、あたら有能な人材を失うことになるのは、それこそ本末転倒じゃないのかしらね。
こうして、巨大化した企業のジレンマは永遠に解決しないのだろうな。そう思ったら、なんか気の毒になってきた。
頑張ってね、Amazon。
#コワーキングは自然発生的にコトが起こることを勧奨する
昨日は、三々五々、カフーツにやってきた人たちで、ゲリラ的に「コワーキングキャンプ飯部」が発動した。
先日の、毎月第3水曜日に開催している「コワーキングキャンプ飯部」で残った食材が冷蔵庫にあったので、山﨑ケンちゃんがおもむろに道具を出してはじめたら、あとから来た人もごく普通に合流して、それぞれ飲み物や食べ物を持ち寄って、そういうことと相成った。
ちなみに今日のカバー画像は、森本さんが持ってきてくれたスムージー入りのビール。スゴイ色してるけれど、いかにもスムージーでオツな味でした。
ぼくはそういう、自然発生的にコトが起こるのが好きだ。あらかじめ綿密に企画して、告知して人を集めて、しっかり時間守ってやるのもいいけれど、時には、誰ともなしに動き出したら、それをフォローする人が出てきて、ワイワイ飲んだり食べたりして、いくつも話題が入れ替わり、そこそこ時間が経つとひとりふたりと自然に解散していく、そういうのがものすごい好き。
これは、例のデレク・シヴァーズのファーストペンギンと最初のフォロワーの話にも絡む。
こういうことは、しばしの間そこに一緒にいることに満足している時に起こり得る、というか、そこに居合わせる者同士がお互いに尊重し合える価値観を持つからできると思ってる。
で、コワーキングはそういう場所であることが望ましい。
予定調和なんかない。
同調圧力もない。
各自が自律的に発想して、自由に行動する。
それを気に入った人がまた自由に参加する。
コワーキングは、それが公序良俗に反しない限り、そしてコワーキングの基本理念に反しない限り、すべて受容する。
実は「コワーキング曼荼羅」はそういうことも現している。
コワーキングはコワーカーの自由な発想とカツドウを勧奨する。
ぼくはそう思って、カフーツを運営している。
ということで、今日はこのへんで。
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