今日のアウトテイク#158「小田原のまちづくりとコワーキングに合い通じるもの」ほか【メンバーシップ特典】(2024-04-24)

<アウトテイク>
・SNSに投稿する前の推敲(もしくは配慮)なしのメモ、殴り書き
・ブログ記事として仕上げる前の思索の断片、または下書き
・一部、筆が乗ってきて文字数多いのもあり〼
・たまに過去に書いたネタを展開する場合も
・コワーキング関連のネタが多め
・要するに「伊藤の現在地点」

※noteメンバーシップ「Beyond the Coworking 〜移働の時代〜」に参加いただくと有料記事も全文読めます。初月度無料です。

先日は茅ヶ崎、今日は小田原。


#今日のBGM

#今日のコトバ

"舌には骨がない。
だが、心臓をぶち抜くほどのパワーを持っている。
だから、言葉には気をつけるように。"
(詠み人知らず)

#スルーする余裕

よく考えたら、昔、はがきは裏面、誰でも読めたのよね。
もう、プライバシーも何もあったもんじゃなかったのか、と思ったけれど、それぐらい世の中がおおらかだったってことか。
ホントはそのほうがいいかもしれない。

インターネットが、そしてソーシャルメディアが現れてから、便利になった反面、他人のことをものすごく気になるようになってきたように思う。
従来、もっと、無関心だったのではないかしらね。
他人が何をしようと、どう言おうと、あらそう、ご勝手に、でよかった。

ソーシャルメディアには、そういう「スルーする余裕」がない。
だから、いちいち反応して、疲れる。
彼らもビジネスだから、そうなるように作られているのは間違いない。
結局、使う側の人間の問題だ。

テキトーに手を抜くことも覚えなければ、ツールの奴隷になってしまう。
クワバラ、クワバラ。
時々、スマホを置いて、町を歩こう。
本を読もう。
人と、みんなと飲んで食べて、リアルに話そう。

コワーキングは、そんな現代人のためのアジールでもある。

#小田原のまちづくりとコワーキングに合い通じるもの

とてもいい記事を読んだ。

小田原といえば、7年前にコワーキングツアーでおじゃました。

移住してきて、町内会や子供会、そして青年部に参加するうちに地元の人間関係が広がり、まちづくりに関わるようになった経緯がよく判る。

ビビビときたのは、人手が足りなくなって婦人部が解散した際に、「男女を分ける必要なんてない。男も女もみんな青年なんだから、一緒にやればいい」と言って、あっさりと青年部を男女の集まる場に変えてしまったくだり。

性別とか地域とか職業とか年齢とか、一見、分けやすい条件だけれども、よく考えるとあんまり意味ない。そんなものはスルーして、それよりも価値観とか世界観とか、あー、だからこの場合、自分たちの町をどうしたいか、どうありたいか、どう継続していくか、を共有できる人たちが集まって役割分担してカツドウすればいいだけの話だ。

そうするうちに、「青年部の風通しがよくなると、とたんに子ども会活動も活気づいてきた」。いいですね、この流れ。ひとつのカツドウが他のカツドウに着火する。連鎖する。

そして、「どの地区の子どもも格安で参加できるようになった」。つまり、地区同士がつながった。ますます、いい。「みんなの心はひとつになった」って、いいなぁ。

そして肝心なのは、「青年部の数はさらに増え、子どもたちの「もらう楽しみ」は「支える喜び」に変わった」ということ。次世代にバトンタッチして地域のサステナビリティを実現する。

しかし、「彼は、小田原愛、地域愛のかたまりのような人で、初対面でしらふの私に、2時間以上も地区の歴史、素晴らしさを語り続けた」のところは笑った。そういえば、コワーキングのことを話しだしたら2〜3時間止まらないオッサンもいたな(あんたや)。

で、これ、コワーキングでも同じことが言える。というか、コワーキング自体がまちづくりの拠点、エンジンになってる。

コワーキングを利用する人には、実にさまざまな属性の人たちがいる。一般に、コワーキングスペースといえば、IT系のノートパソコンで仕事する人たちが使うところというイメージが強いが、実はそうではない。

いつも貼るこの「コワーキング曼荼羅」が示すテーマを持つあらゆる人が出入りし、交差し、つながってコトを起こし、協働・協業・共創関係を結んでカツドウするコミュニティであるのがコワーキングとして理想の姿。

それぞれのテーマに関心があり課題や目的を共有できる仲間がチームになるためのまちのハブであり、インフラでもある。そこに「地区」という発想はない。どこから来て参加しても構わない。

で、「どの地区の子どもも格安で参加できる」ことで、今までになかったつながりができ、交流するうちにカツドウのテーマが沸き起こり動き出す。

そして、言うまでもなく、そこにあるのはこの「コワーキングの5大価値」。

昨日も「よいチーム」とはなにかについて書いたけれど、

まったく同じことが、小田原のまちづくりにも、コワーキングにも言える。

そして、「もらう楽しみ」は「支える喜び」に変わる、というところは、コワーキングの場合、利用者である人が運営を手伝う側にも回ることがある、ということ。

「運営者vs利用者」ではなく「運営者with利用者」、もしくは「運営者=利用者」の関係でそのコワーキングが維持継続していく。今後は、地域住民でチームを組んで共同運営、自治運営するのもおおいにアリとぼくは考えている。

例えば、ニュージーランドのEnspiralなんかは、協同組合型だがその一例。

それとぼくが、時々、「間借りコワーキング」と称して、ぼく以外の人にカフーツの運営を任すのも、その一環でもある。

ところで、タイトルのバチカンというのは、ひとつの独立した経済圏を作るということとイコールだと思うが、コワーキングをひとつの経済圏にするということも不可能ではない。事実、上記のEnspiralがそういうカツドウをしている。

実は、もうすぐリリース予定のアプリ「cosac」がその口火を切ることになると思ってる。(OGP出ない)

ただいま、サイト制作中で、ぼくのテキスト待ち。はよ、書こう。

ということで、今日はこのへんで。


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