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愛してる短歌に苦しめられ続ける徒然なる文章

感性を墓までもっていていく沈め
気休めにすらならない水面

以下散文 短い   

 愛して百首の短歌を連ねたこともある、もちろん1回ではなく3回以上。
 それでも短歌に苦しめられる日々は続く。

  自分よりも後に続くものたちの美しくも優しい言葉に満ちた短歌、寂しくも実感のこもるそのものにしか詠めない尊さ。 どれだけ短歌に関して苦しい思いをしても、結局はそれらの短歌を嫌いになることもできずただただ楽しみ美しく言葉の連なりに涙を零すばかりである。様々な背景を持ちながら、そのものがこの言葉を選びとったという事実が愛おしい。人間自体が愛おしくかわいらしい。 この感覚から逃げることすら叶わない 嫉妬、苦しみ、羨み、寂しさ、自分の持たぬ感受性や言葉選び、その言葉を敢えて選びとった、または感性の赴くままに助詞の位置を決めたといったそのものたちの感覚すべてに苦しめられつつも心奪われる自分により苦しみを感じながらも、短歌を詠みたいという衝動からは逃げられず、今日も寂しく辛く美しい四季に目を向けながらぐっと情念をこめていく。いくら他の短歌を詠んでも上達せず人の心をがっちりと掴み織り成された絹のようで楽しさも共存した短歌を詠めるものへの嫉妬と羨みが消えることはない。勉強と称しながら多くの短歌に触れることに徹してきたものの、羨みと妬みから逃れることはできない。ただ自分の首を絞めているだけなのに逃れられない辛さは身体中を掻き毟っても落ち着くことはなく、せめてと自ら涙を流してもなんの解決にもならずただただ辛く日々を過ごすだけである。
 苦しい。辛い。見たくなくても目に入る。それだけならSNSをやめて一人こもってひたすら短歌を詠んでいればいいだけのことだ。四季の変化に楽しみを見出しそれによる心の動きに動揺しつつもそれを連ね楽しく生きていけばいい。それができないのは、見たくもない美しく自分では辿り着くことができない短歌を見たいという相反する衝動からである。そして承認欲求。もうひとりでメモ帳に短歌を書いては見返してにやにやしていた頃には戻れない。他のもののSNSに溢れる短歌を知ってしまっては止めることなどできるはずがなく、それらに心奪われる自分が憎たらしくも嫌いになれない自己意識のやたら高い人間であると気がついてしまった。
 誰にも知られなくていいと思っていた。知られずにいてそれでも短歌を楽しめる自分に酔っていた。短歌を詠めればそれでいい。楽しい。振り回されることはなく、心の動きによって筆が自分の感覚によってひとりでに動いていくという間違った感覚に従って短歌を詠めると勘違いしていたと気づいた時には失望に等しかった。
 私には、文章を長く長く書く癖がある。今書いていてもその癖が現れていることを実感する。見直す度に直しているものの、文才がないこともこの文章で察するものがある。そんな自分に嫌気が差す。けれども短歌を見るたびああこれはすごいここのこの選び方が最後の言葉に響いているだの勝手に思ってしまう。
 結局はただの自意識過剰な人間であることに無理矢理気付かされそれに嘆いているだけである。このような文章を書いてもその感覚は休まることなく一生続いていくかとうっすら思いそれに絶望するばかりであるが優しくも言葉は寄り添ってくれて嫌いになれず、悲しい哀れな人間として生きてゆくのてある。


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