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愛の滝登り~口数が少ない次女の世界。子供が外でしゃべらなくても心配ない~

次女が5歳の頃、私と二人で「ことわざカルタ」をしていた。とは言っても、私が読んで次女が取るだけで競う相手はいない。そして私が、「鯉の滝登り!」と言うと、次女の動きがピタッと止まった。そして私の目を見ながら、「ママ、愛の滝登り・・、愛が滝を登るんだよ、その心が滝を登るんだよ!」と言う。「へえ~、それはすごいね~。」と私は感心しながらも、良く分からない反応をしてしまった。

次女は小さい頃から、人の中ではひたすら人を観察し、自分から人に言葉を発することが少なかった。保育園の年長の時、園長先生が私にこう言った。「お母さん、実は私は彼女の声を聞いたことがないんです。このままですと、小学校の先生が入学前に保育園を訪れた時に、彼女に何か質問をして何も答えられないと、特別学級に入れられてしまうのではないかと心配です。」私は何だか楽しくなってしまった。2歳から通っている保育園で、ほとんど言葉を発していなかったとは。家でも基本は無口だが、話し始めると止まらないこともある。さらに次女は言葉数が少ない分、自分が発する言葉にこだわりや美意識を持っているように見えたため、私は何の心配もしていなかった。心配してくれた園長先生には詳しくその事を説明した。

小学校でも次女の無口を理由に、一緒に登下校している子がもどかしさからあれやこれやと叩いてくることもあった。しかし、いざという時は言いにくいことも伝える勇気を手に入れた次女は、これからは一人で登下校することをハッキリと伝えた。

小6のある日、次女が私に言ってきた。「あのー、学校の人権作文のクラス代表になったんだけど・・、見てもらえるかな。」どうやら本当はクラス内で発表する前に、親に原稿を見てもらう指示があったが、次女は私に見せずそのままクラス発表し選ばれてしまったので、学年発表する前にさすがに私にチェックもらおうと思ったらしい。そういえば低学年から、植物や生き物の観察日記でも、対象物をじーっと見た後、欄からはみ出るくらいの文章を一気に記入していた。

何かが無ければ何かがあるというか、彼女の頭の中では沢山の世界が繰り広げられているようだ。最近家ではだいぶ言葉が達者になったが、たまに若干の不思議ちゃんを発揮してくれる。私の役目は、彼女の世界を肯定することくらいだ。

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