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プライドのあり方


#思い込みが変わったこと

私は、欧米のヒップホップ業界には黒人のアーティストしか受け入れられないものだと思い込んでいた。(エミネムを除く)
しかし今では88Risingをはじめとしてアジア人のラップが全米でヒットすることが普通になった。

今から14年前はまさかそんな時代が到来するとは思ってもみなかった。その頃私は中学2年生の14歳。この年に発売されたマドンナのアルバム『ハードキャンディー』がきっかけで、ヒップホップに興味を持ち、直ぐに夢中なってヒップホップばかり聴くようになった。マドンナ自体はポップの歌手だが、そのアルバムはヒップホップの有名プロデューサーが手掛けており、多数のヒップホップアーティストが楽曲に参加していたのだ。当時の最先端を行くヒップホップアーティスト達の手掛ける音楽は野蛮かつ美しく感じた。私の人生の中では一生触れることのない別の世界の香りを味わっているような感覚だった。

当時私は中学校ではふざけてばかりのやかましい生徒の一人だった。自分でダジャレを考え出して友達に披露したりEXILEのダンスの真似をしたりいつも馬鹿な事を言ってクラスメイトとはしゃいでいた。毎日授業も皆と騒いで休み時間も楽しかった。帰宅部だったので放課後は一人で真っ直ぐ帰宅した。学ランは擦れて尻の辺りがテカテカして日は明るくグラウンドに降り注いでいた。

私は小学生の時にいじめを受けていた。リーダー格の男子が2人いて学校では何でもその2人が決定していたのだが、途中から転入してきた私はそれを知らなかった。いじめは私に癒えない傷を与えたが、6年生の時にいじめを受けなくなった。どうしたかと言うと、前述したようなギャグ全開の明るいキャラクターの自分を自分で作ってそれが受け入れられたからである。

中学校に上がってもそのキャラクターのままで高いテンションを保っていた。当時私をいじめていた生徒たちは何もなかったかのように私に接してきた。当時リーダー格のひとりは中学に上がったタイミングで他の小学校からきた生徒たちとも一緒になったからか威張る事は無くなり私とはクラスが被らなかったのもあって話すことはなくなった。もうひとりはお受験をして頭のいい中学校に行って会わなくなった。

中学2年生のある日まで、私はそのキャラクターを自分自身の自然な姿だと思い込んでいた。特に何があったわけではないが、ふと思い出した。そのキャラクターはまさに自分をいじめてきた連中に受け入れてもらえるように自分で作り出したものだという事である。
この、加害者は相手なのにも関わらず“許し”てもらえるように努力したという事はずっと私の中で、洗っても取れないシミのように心の中に今でも残っている。

当時ヒップホップにはまった最初のきっかけのひとつは、MVに登場する屈強なラッパーたちを見て彼らなら自分をいじめた連中を簡単にボコボコにできるだろうなと思ったからである。



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