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歌手の ゆず について

ゆずが昔から苦手だ。果物ではなく、二人組でギターを弾き語りする歌手のほうの“ゆず”の事だ。
何故かと聞かれるとはっきりとした理由は無い。ただ聞いていると息苦しさのようなものを感じ、テレビで出てきたらチャンネルを変える。もし職場の事務所で、彼らの曲がメドレーで流れていたら転職を検討するだろう。デパートの一階などで耳にするモスキート音と同じくらいのノイズであることは確かだ。けして嫌いではない。というより曲ごとの詳細や、彼らの人物像もよく知らない。

ゆずが作り出す世界観は、一種のプロパガンダを想起させる。
それはまるでポール・バーホーベン監督のSF映画「スターシップ・トゥルーパーズ」のようだ。人類と巨大な昆虫型の宇宙生物との戦争を描いた内容で、一見するとよくある娯楽用のSFアクション大作なのだが、作品全体を通じて、かつて戦時中に作られた国民の戦意高揚を目的としたプロパガンダ映画をパロディにして皮肉った作品になっている。子供達に宇宙生物のおもちゃを破壊させて親が喜ぶシーンはゾッとさせるし、主人公は盲目的に政府にただただ従っているのでいまいち感情移入できないし、宇宙生物が結局何故人類に攻撃をしてくるのかもよく分からないままで、もしかしたら、侵略の為に人類から先に攻撃を仕掛けたのかもしれないという可能性を匂わせたまま話が終わる。

ゆずの音楽を聴くと、「スターシップ・トゥルーパーズ」を観た時感じた違和感に近い感覚を覚える。曲を聴く人ひとりひとりに寄り添っているようにみえてじつは皆と違う方向を向いている人間を許さなかったり、多数派の考え方が全てで、皆同じ目標を目指して努力するべきだ。と言わんばかりの圧を感じる。まるで少数派の意見など最初から存在しないかのような空気感である。本音を語っているように見せかけて、実はそこにはひとかけらも人間らしさが無いような歌に聴こえるのだ。それはゆずの歌詞、メロディ、プロモーション活動まですべてから感じる。笑えないところは、スターシップ・トゥルーパーズはブラックジョークだと監督が公言しているのに対して、ゆずはおそらく本気であの曲を披露し、大多数の国民は真剣に“良き事を語っている歌”としてゆずを受け入れていることだ。

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