古代中国の占い師たち・淳于智の場合
48歳で病死してしまった管輅……彼以外の占い師たちは、長生きどころか仙人や道士のように驚異的な不老長寿を保つことによって、果たして私たち庶民の中に潜在する《霊験あらたかな人物が現に存在して救って下さる願望》を満たしてくれたのだろうか?
先ずは彼らの活躍ぶりを見てみよう。『捜神記』三巻の各説話は大体、怪異や病気など不幸に悩んでいる人が占い師に相談する→占い師は一見不幸とは関係のないような奇妙なアドバイスをする→アドバイスに従うと不幸の原因が消失する→一件落着メデタシメデタシというようなシンプルな流れである。
例を挙げる。
ネズミに齧られたら、占い師に相談するより先にやることがありそうだけれど……。
ムチ屋からマージンを取っていたことは間違いないであろう。
しかし実のところ、キツネが鳴いたことと家屋の倒壊に何の因果関係も見られない。人為的な破壊だった可能性がある。それに母の病が治ったとは一言も書かれていない。
なにこの話? サルの死と母の快癒との因果関係の有無以前に、とんでもない動物虐待だろ。
さて、こんな風に大活躍(?)した淳于智は、西晋の第二代皇帝・恵帝の朝廷で権臣であった楊駿に取り立てられた。Wikipediaによれば、暗愚であり、専横を極めて中央・地方を問わず多くの官僚から忌み嫌われた人物とある。おやおや、そんな人に仕えて大丈夫ですか? 果たして、楊駿が皇后の罠にハマり、謀反の濡れ衣を着せられた時、楊の味方をする者は残されておらず、逃げた先の馬小屋で惨殺された。そして、巻き添えを食らった淳于智も処刑されてしまったという(291年)。
あなた占い師でしょう、こんなことになる前に、親分のことを占ったりしなかったのですか? いや、占えと命じられたこともなかったのですか? ……ネズミやキツネ、サルのことなんかより、そっちの方がよっぽど重要じゃないですかね。
ちっともめでたくない。それどころか、申し訳ないけれど、ざまあねえ!のである。
(続く)