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生理的嫌悪感について

 生理的嫌悪感について語るのは、難しい。思い出すのは、あるライターが、元プロ野球選手について、顔には生理的な嫌悪を感じるけれど、解説は良いなんて書いた一件である。当の解説者が「親から貰った顔、傷つく」と反応したことからちょっとした騒動が起こり、結果、記事は修正、それから削除、編集長が謝罪に追い込まれたように記憶している。

 顔に生理的嫌悪を感じるというのは、ルッキズム云々の前にそもそも失礼であって、公の場で口にすべきことではない。

 しかし、たとえば、会社で女性社員が、
「課長って、なんか爬虫類ぽくね?」
「マジ気色悪いんですけどー」
 などと影で話す分には、とくに問題はないのだろう。
 それを私が聞き咎めて、わなわな震えながら、
「君たち、なんてことを言うのだ……自分が恥ずかしくないのか!」
 などと割って入るのは、ちゃんちゃらおかしいような気がする。

 そもそも生理的嫌悪感とは何だろうか。何かのために存在しているのか、それともまったく意味のない認知バイアスなのか。

 適応という概念を使って、それを進化心理学的に説明できるかもしれない。たとえば、蛇に嫌悪を感じるというのは、毒蛇に噛まれて死なないための適応である、と。しかし、ちょっと待てよ、それならば、スズメバチや熊に生理的嫌悪感を感じないのは何故なのか? スポーツライターは、元プロ野球選手を恐れていたわけではないし、恐怖と生理的嫌悪は明らかに違っているのだ。

 ある人が言うことには、年頃の娘が父親に嫌悪感を抱くのは、近親相姦を忌避するような自然のシステムなのだそうだ。なるほど、この生殖的な視点から、たとえば異性に対する生理的嫌悪感を解釈することができるかもしれない。お互いに気づいていないけれど、実は二人は意外なことに近親だったのだよ、といった風に。しかし、一体ライターと解説者は親戚同士なのか、そもそも二人は同性ではないか。

 正体がハッキリしないのに、厳然として存在する、それが生理的嫌悪感なのである。

 と、そんなことを考えたのも、全然他人事ではなくて、私自身が会社の先輩に抱く生理的嫌悪感について語りたかったからである。差別、いじめ、ハラスメントや名誉毀損にならないように、これをフィクションにして、たとえばキャラを皆んな女性にしてみれば……とか、設定を時代劇にしてみれば……とか、寓話風に動物たちの物語にしてみれば……とか、散々頭を捻ってみたけれど、うまくいかず、結局ストレートに語ってみることにしてみた。それで書いては削除を繰り返すことになる。個人的な嫌悪を豊富なエピソードを混じえながらひたすら吐露しても、機知も諧謔もなければ、結局のところそれは悪口であって、読者にとって非常に不愉快であろうというのが結論である。

 それにしても、私は膨大な時間を、その嫌悪を感じる相手について書くことで無駄に費やしたきたことになる。もはや、オブセッションではないか。そんなわけで、あの醜い顔、いやらしい声音、歪んだ根性、だらしのない体型に加えて、更にあのクズ野郎を嫌う理由がまた一つ増えてしまったわけである。かくも生理的嫌悪感について語るのは難しいとは。……

(了)

【追記】
このエッセイはフィクションであり、実在の団体、人物とは関わりがありません。

【お詫びと訂正】
すいません、実在の団体、人物と思いっきり関係してます! ごめんなさい!

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