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【エッセイ】今は昔の未来

 およそ20年くらい昔の話。
「先輩、ジンジャーって知ってますか?」
 いきなり後輩に訊かれたものだ。
「ジャンジャー……エール?」
「ちがう、ちがう。単なるジンジャーですよ」
「生姜のことだろ」
「ああ、もう。昨夜の『ニュース・ステーション』を観てないんですか?」
 当時の人気報道番組である。今思うとタレントが司会を務めるニュース・ショーのハシリであったようだ。

 後輩の言うことには、なんでもアメリカの発明家が世界を変える画期的な発明をしたという。その世紀の発明品の開発名がジンジャーであり、ビル・ゲイツ、スティーブ・ジョブス、ジェフ・ベゾスなど錚々たるメンバーも絶賛しているというのである。なんでもインターネットを超えるだとか。

「ほう、そりゃ凄いな。それで一体何なんだ、そのジンジャーとやらは?」
「いや、それがわからないんです」
「は?」
「まだ発売されてませんから。極秘に研究されて、一切が秘密のヴェールに包まれているんす」
「だったらなんで世界を変える世紀の発明だとわかるんだよ?」
「いやだから、ビルやジェフが……」
 友だちかよ。
「本当にビル・ゲイツが絶賛したのか?」
「とクメさんが言ってました」
 なんだよ、そりゃ。
「それにしても、何だろうなあ、ジンジャー。楽しみだなあ」
 と、後輩は目をキラキラさせながら、未来に想いを馳せるのであった。

 自分という人間は、基本的に新しいテクノロジーには不信感を抱きがちで、明るい未来像など抱いたことがない。たとえば携帯電話というものが、どれだけ人を縛るようになったのか考えてみるとよい。あるいは、携帯電話の使用によって失われた命が一体どれだけあるのか。それにしても、世紀の発明などと言われると、先ずケチをつけたくなるが、実体がわからなければケチのつけようもないではないか。実に胡散臭い話である。

「何だろうなあ、ワクワクするなあ」と後輩。
「あのさ、髪を洗う時、シャンプーが目に入ったことがあるだろ。浮き輪のように中心が空洞のビニール製の帽子があったら、便利じゃね?」
「それってシャンプーハットじゃないですか」
「なんだ、すでに実用化されてるのか!」

「雨の日、傘を使うと片手が塞がって不便だろ。自転車の片手運転も危険だし。そんな時、防水性のアウターがあったらいいなあって思わないか?」
「レインコート! 雨合羽! 先輩、全然面白くないですよ」
「また先を越されたか!」

「じゃあ、まだ特許は取ってないけど、特別にオレのとっておきの発明品を教えてやるよ。傘って、江戸時代の番傘も現代のものも、紙と木からビニールとアルミかグラスファイバーに変わっただけで、ほとんど構造は変わらないだろ。結局、片手は塞がるわけだし。防水性のソンブレロってどうかな? 名づけてアンブレロ。もはや傘は必要ない」
 後輩は冷たい視線を送ってくるばかりで、もはやツッコミすら入れてくれない。
「ジンジャーというのは、どうやら移動手段のようですよ……」
 それを早く言えよ。
「じゃ、十徳シューズとかどうかな? アウトドアで十徳ナイフを忘れてた時に重宝するぞ」
「あの、靴から飛び出たスプーンやフォークを使うのは、不衛生じゃないですか? そんなんじゃなくて、ジンジャーというのはですね、たとえば空飛ぶスクーターとか、浮遊するスケートボードとか、きっとそんな夢のある乗り物なんです」
 それじゃ、まるでハリウッド製SF映画の世界ではないか。

 と、そんな会話があって瞬く間に20年が過ぎて先日、後輩(先の後輩にあらず)の運転する車で、渋滞の長い列に連なっていると、電動キックボードに乗ったスーツ姿の若者が颯爽と抜かしていった、ネクタイを風になびかせて。
「お、いいなあ、セグウェイ」と後輩が呟いた。
「いや、あれはセグウェイじゃないよ。フツーの電動キックボードだろ」後部座席から指摘する。
「あれ、じゃ、セグウェイってどんなでしたっけ」
「さあて、どんなだったかな」
 その姿形がまるで朧げなのだ。

 早速調べてみると、セグウェイ社は身売りした上に、セグウェイそのものもすでに製造中止になっていた。日本では公道通行禁止だから当たり前だけど、アメリカでも転倒事故が多発し全然売れなかったという。この電動立ち乗り並行二輪車の開発時のコードネームがジンジャーだったというわけ。

 こういった経緯でおよそ20年前の未来を巡る会話を思い出したのであった。様々な想いが胸をよぎるが、それは敢えて書かないでおこう。

 ところで、身売り先の社長は、セグウェイ乗車中に断崖から落ちて亡くなったという。ほらね、やっぱり先端テクノロジー(?)は油断ならない。

(了)

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