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トマト嫌い(2)

 食べ物の好き嫌いというテーマから外れるようだけれど、似たような範疇に少食、つまり食が細いという問題がある。いや、少食そのものが問題などであるはずがないのに、ずっと問題にされ続けてきたということこそが、問題となると言おうか。

 今はどうだか知らないけれど、私の小学生時代には、給食を残さず食べなければならないというルールが、厳然としてあったのである。育ち盛りの食べ盛りと言われる年代にあっても、誰もが健やかな食欲を持っているわけではない。人それぞれであるし、もちろん、その日の体調ということもある。それなのに、「個性尊重」が掲げられる一方で、食べない個性は決して尊重されることがなかった、少なくとも、私の小学校時代は。

 思い出す。昼食を終えてグラウンドに飛び出して遊んでいると、チャイムが鳴って今度は掃除の時間となる、その間中ずーっと食事を続けている子がいた。外でドッジボールをすることもなく、机と椅子が隅に片付けられて、箒が容赦なく埃が舞い上げ、続いてみんながスイスイと雑巾掛けしている間も、まるで孤島のように取り残され、最後の気力を振り絞って給食に取り組んでいる。もちろん、好き好んででやっているわけがないことは、アルマイト製の食器の上にうなだれて表情がうかがえないけれど、明らかである。先割れスプーンを握った右手は、凍りついたように動かない。

 恐ろしい光景だった。「残したらもったいない」というなら、最初から盛りを少なくすれば良いだけの話ではないか。「農家の方に申し訳ないと思わないのか!」という先生の理屈も、やっぱり恐ろしかった。お米や野菜の生産者たちが、学校でのこのような躾、というか仕打ちを望んでいるとは、いくらなんでも思えない。

 そこでトマトだ。トマト農家の人々が、さながら赤鬼のごとく私に向かって牙を剥く。そんな妄念に捉われることはなかったけれど、給食にトマトが出れば、私は学校の食育制度にあって絶体絶命のピンチに陥ることになりはすまいか。

 幸いなことに、野菜サラダがメニューとなることはかなり稀なことであった。そもそも、(漬物は別として)野菜を生で食べるというのは、日本人にとって伝統的ではないし、私には野蛮な習慣に思われる。これはいわゆる先ほど述べた文化に属する問題であるが、なかなか喉に通りにくいシロモノを、健康のためと称してドレッシング(私の子ども時代にはそんな洒落たものはなかった)で無理矢理押し込んでいるのではないか。

 しかしそれでも、年に数度、それは確実にやって来た。プチトマトという、トマトの不味さが小さく凝縮したような究極的な形態で、付け合わせとして皿の角にころころと二、三個も転がっていただろうか。足掻いても、ジタバタしても仕方がない、覚悟を決めて……。

 先生に見つからないように、隣席の級友に手渡す。あるいは、友達が気づかぬうちにこっそりと移し替える。いずれも巧くいかないときには、どうするか。いよいよ、掃除の時間に独りだけ給食時間と相成るのか。大丈夫、私の足下には節穴があったのである。

 アフォーダンスという概念がある。自然であれ人工であれ、あるモノや環境が主体に対して持つ意味とか役割とでも言うのだろうか。たとえば、草むらが捕食者から身を隠すのに役立つとか、洞穴が雨をしのぐのに役立つとか、石器に適した石だとか。デザインなら、ドアのノブやカップの持ち手の持つ意味を指す。大体どんな文化圏のものであっても、椅子を見れば、座るモノだなということは一目瞭然であって、ソファに横になる人はいても、そこに皿を置いて食事を始める人はいないだろう。うちの猫だって、いつもソファで丸くなっている。

 考えてみてほしい、板張りの床にある、親指の太さぐらいの節穴が、小学校低学年に対してどのようなアフォーダンスを持っているのか。先ずは覗いてみる→真っ暗闇で何も見えない。指を突っ込んでみる→何にも触れずどこにも届かない。そして次には消しゴムのカスやら鉛筆の削りクズやらを入れてみる→何も起こらない。世界は依然として平穏そのものであるが、ゴミは忽然と消えてしまった。少なくとも目前からは永遠に。

 この節穴の形といい、大きさといい、まったくプチトマトを捨てるのにちょうど良い具合であった。まるでそのために穿たれかのようだった。こうしてまだ青味の残ったプチトマトは次々闇へと葬られたわけである。

 一体あのトマトたちはどこへ行ってしまったのか。もちろん、どこにも行きやしない、床下でドロドロに腐るかカサカサに乾燥するか、好き嫌いのない鼠にでも食べられたのだろう。

 あれから何十年も経って、スモーカーにしてドランカーになった私は、ある朝ひどい頭痛に苦しんで、トマトジュースを試してみた。トマトのリコピンがアセトアルデヒドの分解を促して、二日酔いに効くと教わったからである。今となっては嫌悪を抱かせる要素はなくなっていたけれど、別に美味くも何ともないトマトの味わいが触媒となって、不意に記憶が蘇る。親に無理矢理食べさせられたトマトをもどしたこと、掃除の時間になっても、ひとり給食を食べさせられていた級友、そして床板の節穴。あのとき、それが床下ではなく、どこか異空間に繋がっていてるかのように思えて、かがみ込んで、節穴を覗いてみた。そんなことまで、覚えている。

 半日ばかり、ソファに仰向けになって、紙パックのトマトジュースをストローで啜りながら、ぼんやりと呆けたように天井を眺めていた。リコピンが二日酔いに効いたかどうかは、覚えていない。

(了)

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